- 出演者
- 佐藤二朗 片山千恵子 河合敦
今回は「ええじゃないか」の熱狂を大調査する。
オープニング映像。
江戸時代最後となった1867年、7月~12月に「ええじゃないか」は発生した。ただのダンスブームでは終わらなかったとされる。
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- ええじゃないか
1867年、「ええじゃないか」が流行したが、踊りや歌詞には地域差があった。史料によると、京都中心部では喧しかったという。「ええじゃないか図絵馬」をもとに、踊りはどのようなものだったのかなど、番組で調査を実施した。湘南工科大学の専門家が協力してくれ、日本舞踊家の花柳榮輔氏が踊りの監修を務めた。絵馬の描写から3種類の踊りを推定復元することができた。京都太秦の時代劇スタジオに30人の役者を招集し、幕末の絵巻を参考にした衣装を着用してもらった。異性装など普段とは異なる装いで解放感を堪能したと考えられる。
「ええじゃないか」の発祥の地は愛知県の牟呂八幡宮とされる。神主の記録を紐解くと、伊勢神宮外宮の御札が空から舞い降り、村民は吉兆ととらえた。3日間にわたって祭りが開かれ、「ええじゃないか」も誕生。御札が降る現象はこの村だけにとどまらず、他地域の人々も踊りに熱狂した。
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- 牟呂八幡宮
幕末の日本を訪れていた外交官のアーネスト・サトウも「ええじゃないか」を目撃していたという。料亭の店員さんも接客そっちのけで踊りに熱中し、開店休業状態だったという。
空から降ってきた御札が「ええじゃないか」誕生のきっかけになったとされる。関連資料によると、午前5時~7時に御札が多数目撃されていた。宵闇にまぎれ、誰かが門前や垣根に御札を置いていったところ、人々は空から降ってきたと解釈したという。吉兆ととらえた人々は祭りに明け暮れ、労働から解放された。また、酒や食事の用意は御札が降った家の役目で、貧家には降らなかったという。「ええじゃないか」の仕掛け人は働き詰めの貧しい庶民と考えるのが筋は通っている。幕末、幕府の金融政策により、物価上昇、インフレが起きていた。天災、コレラの流行も重なり、民衆は苦境にあえいでいた。閉塞感のなかで生まれたのが「ええじゃないか」で、非暴力の民衆運動といえた。
全肯定した踊り「ええじゃないか」の仕掛け人は普段、肯定されることがない人々だった。佐藤二朗は「幕末というと、坂本龍馬ら英傑たちに目が行きがちだが、過酷な時代だった」と語った。
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- ええじゃないか
京都の四条通り、商業が盛んな地域でも「ええじゃないか」が起きていた。そこは倒幕派が潜伏していると幕府が警戒するエリア。民衆からすれば、「ええじゃないか」は体制批判の一種で、幕府にとっては弾圧しようにもできなかった。京都守護職である松平容保が乗った駕籠も通行を妨げられたという。幕府が「ええじゃないか」に翻弄されるなか、倒幕派はクーデターに向けた密談を重ねていた。「ええじゃないか」の京都上陸から1月半後には徳川幕府は廃絶することとなった。
江戸幕府が倒れたその日、京都で「ええじゃないか」は忽然と姿を消した。河合敦氏曰く、「ええじゃないか」はあくまで民衆運動だが、京都に限っては倒幕派の扇動が無かったとは言い切れないという。また、「ええじゃないか」への参加に否定的だと通行を妨げられたり、金銭を要求されたケースもあった。
「歴史探偵」の次回予告。