- 出演者
- 池上彰 ウエンツ瑛士 村上茉愛 尾上右近[2代目] 影山優佳 片石貴展 友田オレ
昭和を代表する実業家・土光敏夫は他人にも自分自身にも厳しい性格。昭和29年に発覚した造船業界の贈収賄事件で逮捕された際には東京地検特捜部による家宅捜索を受けたが、土光の質素な暮らしぶりなどから不起訴となった。
「リーダーに必要なものは何か」を番組独自にアンケート。1位は決断力、全世代で1位となった。2位は実行力。5位の親しみやすさは若い世代から多くの票を集めた。
ANAホールディングスの芝田社長が考える良きリーダー像は「社員の声に耳を傾ける」。リーダーに必要なものを13個の選択肢から選んでもらうと、「決断力」「謙虚さ」を選択。「傲慢になると周囲の人の輪が乱れていく」「最後決める時に必要なのは決断力」と話した。
ANAホールディングスの芝田社長が考える良きリーダー像は「社員の声に耳を傾ける」。同じ経営者の片石は「大企業はリーダーが代わる組織」「一から立ち上げていくリーダーシップとはだいぶ変わるんじゃないか」とコメント。
女性運動に生涯を捧げた市川房枝。明治26年生まれ、大正13年に婦人参政権獲得期成同盟会を結成。昭和20年に男女普通選挙が実現すると28年の参院選で初当選。55年、88歳で再び立候補し全国トップ当選。
女性運動に生涯を捧げた市川房枝。転機となったのは大正10年、女性運動や労働運動を学ぶため渡米したこと。当時女性は法律で政治への参加が禁じられていたが、改善のためリーダーとして尽力。当時の政治家から反発を浴びるも徐々に賛同者が増え、その1人が当時の首相・犬養毅。敗戦10日後に戦後対策婦人委員会を結成し全国の昔の同志を集め、GHQの指令よりも先に選挙法改正を実現させた。昭和21年に初めて男女普通選挙が行われ1380万人の女性が投票。女性国会議員は39人誕生。22年、市川は「戦時中の活動が反民主的」とGHQに判断され公職追放となる。その措置の後、参院議員に当選。
ここまで、女性運動に生涯を捧げた市川房枝について紹介。影山は「今の生きやすさに直結していると思う」とコメント。
元プロ野球監督の野村克也。現役時代は南海ホークスに所属、三冠王に輝く強打の捕手として活躍。引退後はヤクルトスワローズ監督に就任し4度のリーグ優勝と3度の日本一に導いたほか、多くの愛弟子を育て遺してきた。秘蔵っ子と呼ばれたのは古田敦也。同じ捕手として野村からマンツーマンの指導を受けた。ベンチでの小言は試合の駆け引きを古田に伝えるためだったという。キャンプでは選手たちにビジネス書を読ませ、「豊富な知識がピンチを救う」と教えた。監督時代に掲げたのは「ID野球」。
元プロ野球監督の野村克也。監督時代に掲げたのは「ID野球」。この言葉は野村の造語で、Iはインポータントを、Dはデータを意味する。スコアラーには相手選手の性格まで分析するよう指示。これが実を結びヤクルトは14年ぶりのリーグ優勝、以降も常勝チームに。古田も選手兼監督として活躍。当時理想としていたリーダー像は、ユーモアがあって面白みがあるリーダー。野村は生前、「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を残すを上とする」とよく口にしていた。
ここまで、元プロ野球監督の野村克也について紹介。右近は「人を遺すってことが一番大事」と、村上は「ついていきたくなる」と、片石は「ぼやくことで何を考えて意思決定しているかがリアルタイムで分かる」とコメント。
「リーダーに向いていないと思う人」を番組独自にアンケート調査。10代~60代以上までの600人に10個の選択肢から2つ選んでもらった。2位は「『オレが、オレが』が強い」。
「リーダーに向いていないと思う人」を番組独自にアンケート調査。1位は「失敗を他人のせいにする」。すべての世代で1位。「情報共有をしない」は10代で5位、20代で3位。
ローソンの竹増社長が考えるリーダーに向いていないと思う人の特徴は、「部下を育てる意識がない」「判断を先延ばしにする」。自身としては松下幸之助の言葉「人はみなダイヤモンドの原石を持っている」「それが何であるのかを見つけてが得るのが上司やリーダーの役目」を知ったことが転機になったという。
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映画監督・黒澤明。今も世界中の映画人に多大な影響を与え、著名な映画監督からも尊敬を集める。黒澤の下でカメラマンなどを務めた木村大作は「道しるべになる人」と評する。18歳で撮影助手として黒澤組に初参加。惹かれたのは細部まで徹底し本物を創る姿勢。「天国と地獄」では撮影のため民家の2階部分を取り壊させた。生前、「些細なことをひとつ妥協していたらすべてが壊れてしまう」と話している。
「池上彰×日本のリーダー 昭和100年」は「テレ東BIZ」「TVer」「U-NEXT」で配信。
映画監督・黒澤明。黒澤の下でカメラマンなどを務めた木村大作は、「用心棒」で難しいシーンの撮影を成功させ褒められたことがある。この仕事ぶりが認められ、次回作では初めて名前で呼んでもらえた。木村が監督を務めた「劔岳 点の記」では、「黒澤のように本物は創れな」「本物に行けばすごいものが撮れる」と標高3000mの立山連峰でロケ。黒澤は昭和60年、映画人として初めて文化勲章を受章。当時75歳、インタビューでは「映画をよく分かっていない」と話している。
ここまで、映画監督・黒澤明について紹介。右近は「一つの型を作った人」とコメント。
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ここまでの内容を振り返り、池上は「昭和のリーダーを平成の若者たちがどう見るのか興味深い」「令和には令和のリーダー像がある、それは皆様方が作ってくださる」とコメント。去年は終戦80年。その際にも指導者がいたことから、「戦後80年が平和だったのは間違ったリーダーを選ばなかったから」とコメント。
