- 出演者
- 石原良純 小泉孝太郎 渡辺瑠海 ウエンツ瑛士 浮所飛貴(ACEes) 佐藤龍我(ACEes)
円形の構造物は、真ん中に支柱が立っている。渦を巻くように水が回っていたという。石炭と石炭以外を分離させる装置だった。軍艦島の石炭は塊ではなく粉炭。たくさんある柱はベルトコンベアだった。その時の映像を紹介した。軍艦島の石炭産出量は年間最大44.1万トン。主に官営八幡製鐵所で使用されていた。昭和30年に作られた端島小中学校。最盛期には1000人以上の子どもたちが通っていた。2010年、石原良純が端島小中学校を訪れたときは7階部分があったが、現在は7階部分は潰れていた。端島病院は当時、最先端医療機器を備えた離島としては異例の総合病院だった。65号棟は軍艦島で最大の建物。9階建て高層アパート。住居者は300世帯以上。家庭菜園ができるバルコニー付きで家賃は10円。現在に換算すると100円。光熱費は無料だった。危険と隣合わせの仕事だったが最先端の家電が揃っていたりと豊かな暮らしを送っていた。お風呂は共同で無料で使用できた。映画館やパチンコ、バーなど娯楽施設もあった。
階段を33段上がったらもうアパートの4階に行ける。高層住宅を無数の階段でつなぎ、入り組んだ場所を行き来できるようになっていた。通称「地獄段」と呼ばれる階段を登ると神社に行くことができる。現在は立入禁止となっている。
渡り廊下は1つずつ見ると、角度が違っている。ズレて落ち始めているという。1974年1月15日、炭鉱が閉山し無人となった。軍艦島の近くにある「高島炭鉱」も世界文化遺産に認定されている。
三菱長崎造船所 第三船渠は東洋最大のドックで4年をかけて建造された。今も現役稼働中。占勝閣はもともと所長の邸宅として建設されたが貴賓接待の迎賓館として使用された。現在もげいひんかんとして使用されている。ジャイアント・カンチレバークレーンは高さ約62mの巨大クレーン。他にも「小菅修船場跡」「旧木型場」が世界文化遺産に登録されている。
旧グラバー住宅はトーマス・グラバーが暮らした洋館。1863年に建てられた現存する日本の木造洋風建築としては最古と言われている。大浦天主堂はキリシタンの存在が明らかになった場所。
私の幸せ時間のオープニング映像。
大分・豊後高田市に暮らしている安倍章二さん。幸せ時間は楽器作り。納屋の作業場などで半日かけて行う。もらった廃材や針金、ネジなどで作っている。
- キーワード
- 豊後高田市(大分)
私の幸せ時間の番組宣伝。
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産は禁教政策中に信仰を守った人々の存在を署名する12の構成資産からなる世界遺産。
潜伏キリシタンにとって五島列島の福江島は信仰の拠点。1873年禁教令が終わり五島で始めてのミサが行われた浜辺がある。宮川大輔と石原良純が撮影禁止の堂崎教会を見学した。堂崎教会は明治40年、現在の建物が完成した。1587年、豊臣秀吉はバテレン追放令を出しキリスト教の宣教師たちを追放。1597年に26名のキリシタンを長崎で処刑した。堂崎教会には聖ヨハネ五島の聖骨が安置されてるという。
宮川大輔と石原良純は帰り道、チリンチリンアイスを味わった。五島列島の絶品グルメを紹介。宮川大輔と石原良純は和風レストラン 望月を訪れ「五島牛ヒレステーキセット150g」を味わった。その後、山本海産物を訪れた。有名なお土産はサンゴ。
宮川大輔と石原良純は山本海産物を訪れた。有名なお土産はサンゴ。桃珊瑚ネックレスは42万円。生からすみなどを紹介した。宮川大輔らは「らーめん シャーロック」を訪れ「とり塩らーめん」を味わった。
三重津海軍所は1865年に日本初の木造実用蒸気船を完成させるなど幕末、佐賀藩の様式海軍の拠点だった場所。
- キーワード
- 三重津海軍所跡
石原良純は佐賀・佐賀市にある本家鍋島緞通を訪れた。鍋島緞通は手織りの綿の絨毯。鍋島緞通は徳川家への献上品になっていた。赤は江戸時代とても貴重な色だった。鍋島緞通は100年もつという。
舞台『WAR BRIDE』ーアメリカと日本の架け橋 桂子・ハーンーのお知らせ。
「唐草家紋 縁二重雷文」のお値段は138万円。緞通は100年以上使えるといい、制作には約3ヶ月を要する。職人の吉島ひろ子さんから制作の体験を勧められたが、石原良純は丁重にお断りした。
- キーワード
- 唐草家紋 縁二重雷文本家鍋島緞通
佐賀城にやってきた石原良純は10代藩主の鍋島直正を紹介し、軍事力を有していた佐賀藩について概説した。直正が暮らしていた本丸御殿を復元した歴史館には藩内で作られた燧石式ゲーベル銃、藩が輸入したスペンサー銃などが展示されていた。
エンディング映像。