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「端島小中学校」 のテレビ露出情報

円形の構造物は、真ん中に支柱が立っている。渦を巻くように水が回っていたという。石炭と石炭以外を分離させる装置だった。軍艦島の石炭は塊ではなく粉炭。たくさんある柱はベルトコンベアだった。その時の映像を紹介した。軍艦島の石炭産出量は年間最大44.1万トン。主に官営八幡製鐵所で使用されていた。昭和30年に作られた端島小中学校。最盛期には1000人以上の子どもたちが通っていた。2010年、石原良純が端島小中学校を訪れたときは7階部分があったが、現在は7階部分は潰れていた。端島病院は当時、最先端医療機器を備えた離島としては異例の総合病院だった。65号棟は軍艦島で最大の建物。9階建て高層アパート。住居者は300世帯以上。家庭菜園ができるバルコニー付きで家賃は10円。現在に換算すると100円。光熱費は無料だった。危険と隣合わせの仕事だったが最先端の家電が揃っていたりと豊かな暮らしを送っていた。お風呂は共同で無料で使用できた。映画館やパチンコ、バーなど娯楽施設もあった。
住所: 長崎県西彼杵郡高島町端島1

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年6月14日放送 18:30 - 20:00 テレビ朝日
1泊家族離島なのに満席食堂ランキング
軍艦島の住人だったはっちゃんとオブくんが登場。東側には炭鉱施設があり、西側は生活エリアだった。8~9割の家庭が関わる炭鉱の島で島民はほぼ炭鉱員家族。東京を凌ぐ高い生活水準でテレビの普及が早かった。

2025年3月9日放送 18:30 - 22:24 テレビ東京
池上彰の昭和100年&令和の挑戦者SP池上彰×土屋太鳳 昭和100年
日本で古くから安定的に使われてきたエネルギーである石炭が日本で知られるようになったのは室町時代。昭和の始め、石炭は産業のため、戦争をするための重要な物資としての使命を担っていた。古くから貿易拠点として栄えてきた長崎は貿易が栄えた街でもあるが、日本の石炭産業を支えてきた街でもある。その舞台となったのが通称・軍艦島。 東西に160m、南北に480m、周囲1.2k[…続きを読む]

2024年12月2日放送 19:00 - 21:54 テレビ朝日
帰れマンデー見っけ隊!!元島民 思い出の場所今どうなってる?タカトシ サンド 小泉孝太郎
石川東の思い出の場所は「学校」。軍艦島では1日中炭鉱夫達が働き、休んでいるため家で騒ぐことは許されていなかった。そのため子どもたちが唯一思い切り遊べる場所が学校だった。小中一貫校で約1200人が通っていた。

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