2025年8月24日放送 5:45 - 6:15 日本テレビ

皇室日記
拡大版 戦後80年 受け継がれる平和への思い次世代に込められた願い

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(オープニング)
オープニング

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(皇室日記 拡大版)
皇室日記 拡大版

太平洋戦争では日本人だけでも310万人が犠牲となった。上皇ご夫妻は戦火の及んだ国へ足を運ばれ、親善に努めてこられた。戦後生まれの天皇皇后両陛下には戦争の記憶を次世代に継承させたいという思いが込められている。沖縄では遺族の慨嘆に両陛下、愛子さまで向き合われた。

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受け継がれる平和への思い

1945年2月、アメリカ軍が硫黄島に上陸し、日本軍は地下壕での持久戦を強いられた。だが、2万人以上が戦死し、米軍では7000人近くの犠牲者を出した。4月、両陛下は初めて訪問された。元島民の奥山登喜子さん(92)は11歳の時、島から本土へ疎開させられた。長兄、次兄は島内の生活について日本軍に教えるという名目で協力させられ、登喜子さんと再会を果たすことは叶わなかった。西村怜馬さん(43)の硫黄島出身の祖父母を持つ。島の記憶が薄れゆくことに危機感を覚え、ヒアリング、資料収集などを行っている。西村さんは奥山さんのもとを訪い、慰霊のために島を訪れた両陛下の様子を伝えた。

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6月初旬、天皇皇后両陛下、愛子さまは沖縄を訪問された。平和の礎には沖縄戦の犠牲者ら24万人の名前が刻まれている。照屋苗子さんは家族5人と死別した。弟は3歳、妹は1歳だった。1993年、上皇ご夫妻が初めて沖縄を訪問され、照屋さんは遺族の1人として面会された。戦争の早期終結の決断を下せなかったのは何故か、割り切れない思いを抱いていたという。

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6月4日、天皇皇后両陛下、愛子さまは国立沖縄戦没者墓苑で拝礼され、遺族と交流された。沖縄戦の体験者から話を聞き、後世へ繋げる語り部たちとも歓談され、仲本和さんは「学びの一環として来て頂いた」と感じたという。照屋苗子さんは年齢的にも今回が最後の出席になるかもと考え、逡巡の末、両陛下、愛子さまに家族5人との死別を明かした。同日夜、天皇皇后両陛下は感想を発表され、「戦争の悲惨さ、平和の大切さについて思いを新たにいたしました」などと記されていた。

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6月19日、天皇皇后両陛下は即位後初めて広島を訪問され、原爆犠牲者の慰霊碑に献花された。愛子さまは学習院女子中・高等科の修学旅行で広島を訪れ、卒業文集に「平和とは人任せにするのではなく、一人ひとりの思い、責任ある行動で築き上げていくもの」などと綴られた。全国戦没者追悼式で、天皇陛下は弔辞で、「戦中・戦後の苦難を今後とも語り継ぎ、心を合わせ、将来にわたって平和と人々の幸せを希求し続けていくことを心から願います」などと読まれた。

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