2024年5月15日放送 19:57 - 20:42 NHK総合

鉄道ちょい旅バラエティー テッツGO!
京急

出演者
バカリズム 片山千恵子 川村エミコ 市川紗椰 
(オープニング)
オープニング

オープニング映像。

(鉄道ちょい旅バラエティー テッツGO!)
京急電鉄 鉄道ビギナーも楽しめる!

京浜急行電鉄の愛称は京急。品川から横浜を走り抜け三浦半島まで本線と4つの支線合わせて全長87kmの路線。品川駅から羽田空港まで直通で最速11分。三崎港に水揚げされる新鮮なマグロ。葉山・横スマ・八景島など海の観光スポットもアクセスしやすい。京急の巨大路線図がスタジオに登場。川村エミコさんの実家は三崎口、汐入駅で初めて男性とデートし映画「ツイスター」を見に行ったと話した。京急は関東で最初の電車。開業は明治32(1899)年。最初はわずか1.8kmの区間だった。京急川崎駅から京急始まりの路線へ出発。向かったのは神奈川県川崎市を走る路線。開業当時の終着駅で下車すると駅から徒歩10分ほどで川崎大師が現れた。全国有数の初詣スポットで300万人を超える参拝者。川崎大師の参詣のお客様のために鉄道がひかれた。仲見世も半分くらいしかなかったのが電車が通って倍くらいに広がった。もともと路面電車だった。奥原哲志さんの解説。江戸時代は正月三が日にお参りする習慣はなかった。明治時代に「電車に乗って初詣に行きましょう」という初詣の習慣が京急が大々的に取り組みをし定着していった。日光東照宮や成田山新勝寺へ向かう鉄道も実は同じ。京急始まりの路線の線路はなぜカーブしているのか?京急川崎駅から発車1分後、謎の細長いスペースを発見。かつての駅のプラットホームだった場所でカーブの途中には開業当時の始発駅があった。東京から東海道を歩いてきた人がここの渡し船で川崎大師に参拝していた。当時そばには官設鉄道の川崎駅がありそこと接続したかったが人力車組合の反対で船着き場のあるこの場所を始発駅にした。交渉を重ね3年後に川崎駅の近くまで路線を伸ばした。川崎大師の参拝者を狙って開業した京急の次なる戦略は?京急蒲田駅から羽田空港行きに乗車し海に関する戦略を探った。鈴木さんの激推しスポットはレールに水を噴射してカーブの騒音を和らげる“蒲田噴水”。天空橋駅にあったのは羽田海水浴場の石碑。羽田は明治時代から昭和の戦前までは海辺に面したリゾート地だった。海水浴場は現在の滑走路があるエリア。馬車や人力車ではなく電気鉄道があることで人がたくさん集まった。当時のチラシを見ると「京浜電鉄直営 海の家」とある。5000人を収容できた。他の鉄道会社にも波及し「電車で海水浴」という習慣が広がった。当時の電鉄会社は今でいうベンチャー企業のような存在だった。明治38年、京急大動脈の路線が誕生。近くにの官鉄に対抗した戦略とは?品川駅を発車すると駅と駅が近く次の駅が見える。品川と横浜の間に停まった駅は23。一方官鉄を引き継ぐJR東海道本線は1駅で京急の13駅分にあたり横浜駅までわずか17分。京急は駅数を増やし官鉄の駅がないエリアの乗客を獲得した。官鉄の対抗策は京浜東北線。駅の多さは沿線の町並みにも影響し地域に根ざした商店街がほとんどの駅周辺にありその数20以上。

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京急が社運をかけた大勝負とは?横浜駅から乗車し日ノ出町駅へ。ホームの柱には三浦半島の地図が描かれていた。昭和初期に京急と湘南電気鉄道が接続し三浦半島までの直通運転を記念して作られたもの。タイルの黒い部分は日ノ出町駅にあたる。京急が三浦半島の路線をどうしてもほしかったわけがある。当時沿線案内を見ると豊富な観光スポットがあるのがわかる。市川紗椰さんは観音崎にある横須賀美術館が好きだと話した。川村エミコさんは三浦市の観光大使だと話し三浦大根や春キャベツもいいと話した。京急久里浜駅から三崎口駅へ乗車。早速鉄道キッズに遭遇。運が良ければ出会える展望席付き車両を楽しんでいた。三崎口駅ではバス停に行列が。みなさんのお目当てはマグロ。マグロ料理店ではマグロ愛あふれる店長がお出迎えし大トロ・中トロ・赤身を使った刺身定食を味わった。三浦海岸駅から徒歩5分の三浦海岸の広い砂浜には海水浴やマリンスポーツで多くの人が訪れる。生まれも育ちも三浦海岸のかおりママによると松田聖子や中森明菜などがアイドルが三浦海岸に来ていたという。アイドルは京急の戦略の一部。三浦海岸駅の開業1年前、漁師さんもいるのどかな砂浜が京急の戦略で変わった衝撃映像をどうぞ。駅開業から3年で人が密集する様変わり。当時は上宮田海水浴場という名前だったが京急が三浦海岸と名前を変えた。さらに宣伝ポスターにはアメリカのビーチから名前を拝借し「青いデートナ・ビーチ」と愛称をつけた。品川駅から70分のデートナ・ビーチに人が押し寄せた。波打ち際のステージで無料の歌謡ショーを開催。一大プロジェクトの総仕上げとして行われたのがアイドルの専用列車。みっちょんの愛称で大人気だった芳本美代子さんは自ら車内アナウンスをして車内でお客さんと触れ合った後、三浦海岸のステージへ。芳本美代子さんは当時の様子を「いちばん近い距離でのふれあいだった。鉄道関係の方々もすごく力を入れて三浦海岸を盛り上げるために電車で行こうよとなっていた」と話した。野口五郎、ピンク・レディーなどトップアイドルを電車に乗せ砂浜のステージへと運んだ。この一大プロジェクトによって300万人以上が訪れ関東有数のリゾート地へと変貌させた。

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