- 出演者
- 合原明子 かたせ梨乃 鈴木俊幸
大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」。舞台は18世紀の江戸。横浜流星演じる蔦重こと蔦屋重三郎が出版の世界で成り上がる波乱万丈の物語。蔦重は写楽や歌麿といった浮世絵師をプロデュースした江戸のメディア王。その大衆の心をつかむ斬新な発想は現代にも大きな影響を与えている。俳優・かたせ梨乃と共に蔦重とその時代の魅力をひもとく。
オープニング映像。
蔦屋重三郎は江戸中期の吉原で生まれ育った。吉原の貸本屋から身を興しその後、書籍の編集・出版業を手がけてヒット作を連発。更に写楽や歌麿といった有名な絵師を発掘。浮世絵文化を世に広めた。こうした功績の数々で江戸のメディア王とも称されている。ドラマで現在物語の舞台として描かれている吉原だが当時幕府から公認を得た唯一の遊郭街として2000人を超える遊女がいたといわれている。
あでやかな衣装をまとった遊女たちが人々を魅了した場所、吉原。江戸庶民の流行や文化の発信地でもあった。この吉原があったのは江戸城から徒歩で1時間ほどの浅草寺の程近く。現在の台東区にあたる。かつて蔦重が生きた街にはどんな足跡が残されているのか。案内してくれるのは地元商店会の不破利郎さん。見返り柳があったのは吉原遊郭への入り口の部分。遊郭に至るまでの道の形は今も同じように残されている。蔦重は吉原遊郭のすぐ手前に店を構え遊女などを相手に本を貸し出す貸本屋を営んでいた。お歯黒ドブと呼ばれる周囲に張り巡らされていた堀は犯罪者による不正な出入りの防止や遊女の逃亡対策として作られたといわれている。かたせ梨乃も過去に映画で吉原の遊女を演じたことがあった。遊郭にまつわる書籍を扱う全国で唯一とされる遊郭専門書店。店内には全国各地の遊郭に関する歴史や文化についての珍しい書籍や写真集が置かれている。中には蔦重とゆかりの深い書籍もあった。吉原細見は蔦重が出版した書籍でドラマでも登場する。地図に加え遊女の名前や格付けなど詳細な情報が網羅されており蔦重の代表作の一つ。
吉原があったのは江戸城から徒歩で1時間ほどの浅草寺の程近く。現在の台東区にあたる。かつて蔦重が生きた街にはどんな足跡が残されているのか。案内してくれるのは地元商店会の不破利郎さん。浄閑寺は吉原で起きていた悲劇の一端が今も残されている場所。当時投げ込み寺と呼ばれ身寄りがない遊女たちの亡骸が持ち込まれたというこのお寺。今も彼女たちの供養を行っている。地元の有志たちから成る江戸吉原伝統芸能の会ではこの地に伝わる吉原芸者の芸事の保存、継承を目指し活動している。
蔦屋重三郎を長年研究している中央大学大学院教授・鈴木俊幸さんのスタジオ解説。初期の出版の後ろ盾になっていったのは吉原の引手茶屋の筆頭の駿河屋市右衛門。彼は蔦屋重三郎のおじにあたる。蔦重は34歳の時に日本橋に拠点を移してそこで当時全くの無名だった喜多川歌麿、東洲斎写楽などの絵師たちを世に送り出し浮世絵ブームの仕掛け人となった。
蔦屋重三郎と聞いて思い浮かべるのは?。多くの人が口にしたのは全国に店舗を置く書店の名前。取材に応えてくれたのはTSUTAYAを運営するカルチュア・コンビニエンスクラブの取締役会長・増田宗昭さん。増田さんの祖父がかつて営んでいたお店の屋号「ツタヤ」が名前の由来。蔦重とは全く関係なかった。店舗を開業した初日に蔦重の存在を知人から聞かされた増田さん。その功績を知るにつれ自身が目指すビジネスのビジョンと重なった。蔦重への思いは社員に向けて企業理念などをまとめた冊子にも。蔦重が版元として使っていた印を企業のシンボルの一つにした増田さん。社員にも蔦重のように新しい時代を切り開いていってほしいと言う。
時代を先取りしてきた蔦重。その功績は現代の社会と切り離せないあるものにも影響を与えている。東京・港区にある広告をテーマにしたミュージアム。アドミュージアム東京は江戸時代から現代に至る広告の歴史を展示している。巧みな広告マンとしての蔦重の力量。版元として初期に出版した「吉原細見」にも表れている。特徴的なのがその巻末。発行する書籍の終盤のページに自身の店の蔵書のリストを広告として掲載。書籍を売りながら書籍の広告をする。現代では当たり前となっている手法だが、当時としては画期的なものだった。ほかにも現代で言う企業とのタイアップや著名人を用いた宣伝などを仕掛けたとされる蔦重。広告の歴史を語る上で欠かせない存在。
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- アド・ミュージアム東京蔦屋重三郎
吉原細見は序文を著名人に依頼し吉原のイメージアップについて書かれている。狂歌絵本は狂歌と浮世絵を組み合わせている。蔦屋重三郎の魅力について専門家は「先を見据える力」と話した。
かたせ梨乃が大河ドラマ べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜の告知をした。