- 出演者
- 後呂有紗 伊藤遼 桝太一 古市憲寿 石山アンジュ
東日本大震災についてトーク。桝アナは「震災の教訓をどう生かしていくかここ山元町から今日は皆さんと一緒に考えていきます」などと話した。
- キーワード
- 山元町(宮城)
オープニング映像。
ゲストとして古市憲寿さんと石山アンジュさんが紹介された。
鳥山先生についてトーク。古市氏「日本のマンガの歴史をある意味変えた」などと話した。
汐留の中継映像を背景に全国の天気予報を伝えた。
- キーワード
- 汐留(東京)
トケマッチについてトーク。石山アンジュ氏は「本当に悔しい気持ちでいっぱいです」などと話した。
三崎町では津波が襲った。珠洲市に最大4.3メートルの津波が押し寄せた。前美結さんは家にいるとき震度6強の地震に襲われたという。前美結さんは階段をかけあがり避難場所に逃げたという。住民たちが避難に使った100段の階段。これは東日本大震災をきっかけに作られたもの。その後高齢者などのための手すりやライトも設置された。住民は毎年1回避難訓練を実施し避難時間を計測するなどいざというときに備えてきた。こうしたことで約80人全員が津波から避難できたという。出村さんは車で避難しようとしたときには車が津波で流されていた。出村さんは水から逃れ必死に階段をのぼったという。出村さんは「すぐ動かなければいけない」などと話した。安用寺世梨花さんは中1のときに被災した。安用寺さんは経験を生かし職場の人たちに向け地震発生時のマニュアルを作成した。安用寺さんの防災リュックには食料など東日本大震災で必要だと感じたものを備えていた。今回の地震を機に防寒具や衛生用品を増やしたという。安用寺さんは「岩手で得た教訓を能登の方に伝えるのが自分の使命」などと話した。
災害の備えについてトーク。伊藤アナは阿南市福井町湊地区について「1分から2分ほどでd津波の心配がない高さの裏山に逃げられるように避難経路を変えることを決めたそうです」などと話した。
山元町は津波の被害を教訓に海の近くから内陸部に移転した町。震災後山元町が目指したのはより安全な場所に住んでもらうことと人口減少を食い止めすべての素材が暮らしやすい町を作っていくことであった。この世帯には521世帯1134人が暮らしている。子育て支援のエリアでは学びや遊びの場が集中していた。しかし課題を指摘する人もいた。女性は「元の家の方がコミュニティーはあったと正直思う」などと話した。町長は「1か所に集まっていただいたほうがライフラインなんかの整備もしやすい」などと話した。
山元町・橋元町長によると住民との合意形成を図るための協議を大事にしなくてはいけないという。またコミュニティーについて橋元町長は「その方たちをその集落ごとに新しい地域にうつっていただくというのが大事なこと」などと話した。
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- 山元町(宮城)
山元町の取り組みについてトーク。石山アンジュ氏は「事情が異なる方が住んでいる中で新しい街を決めていく難しさというものを感じました」などと話した。
東日本大震災から13年についてトーク。桝アナは「辛い災害を経験してきた日本という国はあらゆる町に過去の教訓が刻まれていてちょっとした街角に実はそれが目に見える形で残されているはずだと私は思います」などと話した。
エンディング映像。