2023年8月14日放送 2:43 - 3:38 NHK総合

NHKスペシャル
選 “戦い、そして、死んでいく”沖縄戦 発掘された米軍録音記録

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(オープニング)
オープニング

オープニング映像。

沖縄戦 発掘された米軍録音記録

アメリカ海兵隊の第6海兵師団などが沖縄戦の戦場で録音した膨大な音声記録が見つかった。録音記録から浮かび上がるのは徐々に狂気を帯びていくアメリカ兵の姿と「あらゆる地獄を集めた」と呼ばれた戦場の現実だった。

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アメリカ沖縄県
戦い、そして、死んでいく~沖縄戦 発掘された米軍録音記録~
アメリカ議会図書館 国立視覚保全センター

戦場の録音記録はアメリカ議会図書館に保管されていた。戦場で撮影された映像は数多く残されているが、音声の存在は知られてこなかった。海兵隊戦闘記録は、太平洋戦争中激戦地に送り込まれたアメリカ海兵隊が各地で録音したもので、ワイヤーリールは当時のまま残されていた。兵士の声をラジオでアメリカ本土に届けて国民の支持を得る狙いがあった。音声は30時間以上でほどんどが未編集だった。

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アメリカアメリカ議会図書館沖縄県
1945.3 上陸前夜

1945年3月の兵員輸送船内の音声を伝えた。第6海兵師団をはじめアメリカ軍54万の兵士たちは沖縄に向かっていた。録音記録はリラックスした様子で始まっていた。海兵隊に所属するラジオ通信兵が録音を担った。記録は通信兵による実況と兵士たちへのインタビューが中心だった。「怖い」といった兵士の本音も録音されていた。アメリカを中心とする連合国軍は日本が侵攻していたアジア太平洋の島々を次々と制圧。日本の絶対国防圏内に侵入し日本本土に迫っていた。アメリカ軍は読谷村を上陸地点に選んだ。読谷村を拠点に南北に分かれて進軍することで10万の日本軍を分断する狙いだった。

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アメリカ読谷村(沖縄)
1945.4.1 沖縄上陸

上陸前日の3月31日、音声は兵士たちの高揚感を伝えていた。4月1日午前5時30分、アメリカ軍は上陸に先立ち苛烈な艦砲射撃を浴びせた。上陸艇に同乗した通信兵は読谷村に向かう様子を実況した。アメリカ軍は日本軍の組織的な抵抗を受けないままその日のうちに上陸地一帯を占拠した。翌日大本営で戦闘の見通しを尋ねた小磯国昭首相に宮崎周一作戦部長は「結局敵に占領せられ本土来寇は必至」と答えている。沖縄は日本の皇土を防衛するための最前線と位置づけられており、大本営は時間稼ぎの持久戦を求めた。沖縄防衛を担う第32軍は兵力を温存するために上陸地点では抵抗しない選択を選んでいた。上陸後の録音記録には戦いを楽しむかのようなアメリカ軍兵士の声が残されていた。重要な局面を何度も伝えていた通信兵、アーネスト・スタンリー軍曹は大学在学中に海兵隊に入隊した。大学では演劇クラブに所属しすすんで裏方に徹する青年だったという。スタンリーは上陸翌日「きのうの午後洞窟で大勢の住民を保護した」「800人くらいの住民を洞窟から連れ出した」と報告していた。現場は読谷村にあるシムクガマという自然洞窟で、1000人ほどが避難していた。

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アメリカアーネスト・スタンリー宮崎周一小磯国昭立てよいざ立て読谷村(沖縄)
1945.4 本部半島での戦い

日本軍の飛行場がある伊江島を奪取するため、第6海兵師団の兵士たちは本部半島の制圧を目指していた。通信兵が前線で実況しているとき、突然兵士たちは攻撃された。密林を利用した日本軍のゲリラ戦に直面したアメリカ兵の声は恐怖にかられていった。この戦闘に参加した第6海兵師団元中尉は101歳でまだ存命だった。部隊の拠点で休んでいたとき日本軍の銃撃にあったという。スタンリーは「前線から運ばれてきた負傷兵たちの話はみな同じだった」「あまり話したがらず疲れて汚れてひどい目に遭っていた それがジャップの戦い方だ」「ある兵士は『何と戦っているかわからない 未知への恐怖が心の内にある』と言った」などと報告していた。

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アーネスト・スタンリードーバー(アメリカ)伊江島本部半島沖縄県
1945.4 目撃された”集団自決”

4月12日、スタンリー通信兵は沖縄の人たちの衝撃的な死についてカールソン偵察兵にインタビューしていた。カールソンは「我々が占拠した洞窟には多くの住民がいた」「入ると死体が6、7体積み重なっていた 彼らはお互いに殺し合っていたようだ」「日本兵は洞窟の人々に手榴弾を投げ銃撃した」「女性と8歳くらいの男の子もいた 彼女は男の子の喉を切り自分の喉も切った」などと話した。カールソンが見たとされるのは読谷村のクーニー山壕で起きた集団自決だった。読谷村史には日本兵が住民たちに自決を呼びかけ、手榴弾で日本兵2人と住民14人が犠牲になったと記録されている。カールソンはクーニー山壕で見た光景に戦後も苦しみ続けた。住民たちの集団自決という自分たちの理解を超えた行動にアメリカ兵の心は蝕まれていった。

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アメリカクーニー山壕シグ・カールソン読谷村(沖縄)
1945.4 疑心暗鬼に陥るアメリカ兵たち

アメリカ兵は日本軍のゲリラ攻撃に苦しみ続け、録音記録には住民を保護する方針が揺らいでいく様子が残されていた。後方で戦況を見守っていたスタンリーは異変に気づき「あれは本当に住民なのか」「男のような歩き方だ」と報告していた。スタンリーたちはその人物に銃口を向け続けた。音声が録音された日の第6海兵師団の大隊の日報には「日本兵が民間人の服を着て武器を持っていた」と記録されていた。兵士たちは日本兵が住民を装っている疑念を募らせていた。スタンリーが報告した現場に立ち会っていたマイロッド大尉は戦後、「今となっては後悔していますがある晩1人の女性を捕まえて部下たちに『あとは任せた』と言いました すると彼らは彼女を殺害しました」「彼女が我々に危害を加えるかもしれず彼女の行動に反応した兵士が夜中に発砲すれば位置がばれてしまうかもしれないと思った」と証言を残していた。沖縄防衛を担った第32軍は県民に「軍官民 共生共死ノ一体化」を示し、最後まで軍に協力することを求めた。疑心暗鬼に陥ったアメリカ兵たちの目には住民と兵士の区別がなくなっていった。

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アーネスト・スタンリーニューヨーク(アメリカ)フィリップ・マイロッド沖縄県
1945.6 最南部の戦い

1945年6月、沖縄戦はすでに2か月を超えていた。5月末に日本人司令部のある首里を制圧し事実上の勝敗は決していたが、日本軍は最南端へ撤退しながらの持久戦を決断。そこには大勢の住民も避難していた。録音記録には鉄の暴風と呼ばれたアメリカ軍の砲撃音が残されていた。壕に立てこもって抵抗を続ける日本軍を前に、アメリカ兵たちの声は狂気を帯びていった。ランキン伍長は日本兵の狙撃の的になりながら戦い続けたことを淡々と語っていた。ランキン伍長が日本兵14人を殺害したことを語った直後、通信兵は何事もなかったかのように祖国の家族への思いを聞いていた。77歳になったランキン伍長の息子は「父が沖縄の話をするときはとても感情がこもっていました」「沖縄戦の話をすると泣き続けた」などと話した。1945年6月23日、第32軍司令官牛島満中将が自決し、日本軍の組織的戦闘が終了した。一部の日本兵は断続的な抵抗を続け、戦いが完全に終わったのは9月7日のことだった。1945年7月4日、読谷村に作られた第6海兵師団の墓地でスタンリーが行った最後の録音では献花の様子を伝えていた。アメリカ軍死者は1万2500人、沖縄県民の死者は12万2000にんだった。

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(エンディング)
エンディング

エンディング映像。

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