2023年9月3日放送 14:55 - 15:45 NHK総合

NHKスペシャル
映像記録 関東大震災 帝都壊滅の三日間 前編

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(オープニング)
オープニング

オープニング映像。

今回は…

1923年9月1日午前11時58分、マグニチュード7.9の巨大地震が帝都を襲う。強烈な揺れと3日間に渡って続いた火災は10万5000人の生命を奪った。今回、NHKは未曾有の混乱の中で撮影された5時間分に及ぶ映像を高精細カラー化し場所と時間を特定。そこに166時間分に及ぶ生存者の音声記録を合わせ、100年前の巨大災害を追体験する。

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東京駅浅草(東京)皇居関東大震災飯田橋(東京)
映像記録 関東大震災 帝都壊滅の三日間 前編
1923年 帝都・東京

1923年、繁栄の只中にあった帝都・東京。街道の起点であった日本橋のすぐそばには巨大な屋上展望台を備えた三越本店が佇み、歓楽街・浅草には「浅草十二階」の名で親しまれた浅草凌雲閣がそびえ立つ。国家の威信を懸けて建造された東京駅には、新たな交通手段として定着しつつあった鉄道が走っていた。当時、「東京」と呼ばれていたのは皇居を中心とした半径6kmほどの地域で、現在の渋谷や新宿といった西部地域は「郡部」と呼ばれる田園地帯に過ぎなかった。急速な近代化に伴い、当時の東京には220万以上もの人々が暮らしていたという。

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1923年9月1日 11時58分

1923年9月1日午前11時58分、最大震度7に相当する揺れが帝都を襲う。その規模は地震計の針が振り切れてしまうほどで、揺れは10分間以上も続いた。耐震構造を備えた建物などほとんど無かった当時、揺れによって1万2000以上もの家屋が倒壊。2700人以上もの人々が建物の下敷きになって命を落とした。帝都随一の歓楽街・浅草では凌雲閣の8階から上部分が崩れ落ち、火災が発生。地震発生の時刻はちょうど火を使う昼食時だったこともあり、凌雲閣の火災は1時間で300m近く燃え進みながら浅草を焼き尽くしていった。

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凌雲閣新橋(東京)東京大学浅草(東京)皇居銀座(東京)関東大震災

関東大震災の実像を探るため、NHKは国立映画アーカイブに所蔵されている撮影日時・場所が不明な記録映画を高精細カラー化。関東大震災の研究者を招き、映像に映り込んだ情報を元にカットの撮影日時と場所を特定する試みを行った。この試みにより第一級の歴史資料となった映像を元に、100年前の関東大震災を再現していく。

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国立映画アーカイブ帝都の大震災 大正十二年九月一日有楽町駅皇居関東大震災
1923年9月1日 午後1時頃~

最初の揺れからおよそ1時間後、凌雲閣から発生した浅草の火災はますます火勢を強めていた。しかし、800mほど離れた下谷では人々が未だ路上に留まっていた。人々は皆一様に「火災が近づいたら逃げればいい」と楽観視しており、中には避難せずに寿司を食べに出かけた人もいたという。ラジオ放送も始まっていなかった当時、情報を得ることができなかった人々は火災は目の前でしか起こっていないと思いこんでいたが、事実は異なっていた。火災は人々の背後、蔵前や九段下、有楽町などで同時多発的に発生していたのである。そして、そのいずれの火災現場でも人々は避難しようとはしなかった。午後2時半頃になると、広がった火災が警視庁を炎上させたことで帝都の警察機能は麻痺。火勢が強まる中で消防隊は懸命な消火活動を行ったが、揺れによって水道管が破損したために消火栓が使えず、池の水や皇居の堀の水を利用する他なかった。巨大な炎は、近代都市・東京の脆弱さを浮き彫りにしたのである。

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下谷(東京)九段下(東京)凌雲閣帝国劇場帝室林野局廣井脩有楽町(東京)東京駅浅草(東京)皇居蔵前(東京)警視庁関東大震災

東京大学の地震学者・今村明恒はこうした東京の脆弱性を地震発生の18年前から指摘していた。今村は1905年に「50年以内に東京で大地震が起こる可能性があり、そうなれば火災で大きな犠牲が出る」とする論文を発表したが、これが元で人々が東京から逃げ出す騒ぎを引き起こしてしまう。事態は今村の上司であった大森房吉が「根拠のない浮説」と断定する事で落ち着いたが、今村の仮説は関東大震災において的中してしまう。地震発生と同時に東京では134ヶ所で火災が発生し、その出火点から延焼が拡大。さらに、揺れから数時間後にも各地で新たな火の手が上がり始めていた。

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今村明恒大森房吉東京大学関東大震災
1923年9月1日 午後3時頃~

揺れから数時間後に各地で発生した謎の火災。その原因として専門家が指摘したのが「火の粉」である。当時の東京には台風の影響で風速10m前後の強い風が吹いており、風に煽られた火の粉が撒き散らされたことで新たな火災の発生に繋がったのだ。関東大震災ではこうした飛び火火災が240ヶ所で発生したと記録されているが、ここまで被害が拡大したのは揺れによって屋根瓦が落ち、燃えやすい屋根板に火の粉が降り掛かったことが原因だとみられている。実際に当時の屋根を再現して実験を行うと、屋根板の下に敷かれていた厚さ1cm弱の杉皮は上に火の粉が留まることによって容易く貫通されてしまった。こうして空いた屋根の穴から火の粉が入り込むことによって内部の温度が上昇し、フラッシュオーバー現象が発生。それから5分足らずで家屋は炎上してしまった。

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つくば市(茨城)フラッシュオーバー下谷(東京)九段下(東京)国土交通省 国土技術政策総合研究所建築研究所湯島(東京)糸魚川市大規模火災関東大震災

こうした飛び火火災により、危機感なく火災を眺めていた帝都の人々の様相は一変する。四方から火の手が上がったことで火災が各所で上がっていたことに気付いた人々は、逃げ場を求めて手近な広場や公園になだれ込んだ。上野公園には50万もの人々が逃げ込んだが、この時に避難者たちがとったある行動が元で、人々は新たな危機に直面する。

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上野恩賜公園上野(東京)
1923年9月1日 午後4時頃~

広場に避難した人々は皆、布団や箪笥といった家財道具を持ち出していた。しかし、大量の荷物を乗せた大八車は避難するための道を塞いでしまい、避難の遅れに繋がった。障害物や人並みに阻まれて避難が遅れ、広場に辿り着けなかった人々は隅田川にかかる6本の橋を目指して殺到した。橋の両側から火災が広がる中、急き立てられるように両岸から押し寄せた人々は橋の上でぶつかり合い、圧死や窒息による犠牲者が続出。やがて相生橋や永代橋、吾妻橋、厩橋では避難者が持ち込んだ家財に炎が燃え移り、人々は身動きが取れないまま焼け落ちる橋と運命を共にした。しかし、この凄惨な光景も関東大震災という巨大災害の始まりに過ぎなかったのである。

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(エンディング)
次回予告

映像記録 関東大震災 帝都壊滅の三日間の次回予告。

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