2024年11月17日放送 21:00 - 21:50 NHK総合

NHKスペシャル
8000mで見た生と死 〜写真家 石川直樹の記録〜

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(オープニング)
オープニング

オープニング映像。

今回は

2024年10月、標高8000mを超える山の一つであるシシャパンマを石川直樹は登頂していた。エベレストやマナスルなど8000m峰14座全てを登頂した者は14サミッターと呼ばれ、名だたる登山家たちが達成してきた。石川は写真家として歴史上初の14サミッターに名を連ねた。石川は20年以上に渡り過酷な環境でシャッターを切り続けている。石川が8000mの山を見つめた23年間の記憶に迫っていく。

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8000mで見た生と死 ~写真家 石川直樹の記録~
8000mで見た生と死 ~写真家 石川直樹の記録~

2024年9月、石川はヒマラヤ登山の前哨基地となっているネパール・カトマンズに訪れていた。石川は明日、何度も訪れたこの地から最後の8000m峰・シシャパンマに旅立つ。2023年10月にも石川はシシャパンマを登っていた。石川は当時アンナ・グトゥと一緒に登っており、アンナはジーナ・ルズシドロとアメリカ人女性初の14サミッターにどちらがなるか競っていて共に13の8000m峰を制していた。アンナは休む石川を置いて一人登頂を急ぎ、一方でジーナはアンナに勝つために別ルートから頂上を目指していた。しかし、アンナもジーナも頂上を目前に雪崩の被害にあい、絶命した。石川は難を逃れ、山頂付近にまで迫っていたジーナとガイドの姿を写真に収めており、今なお当時のことを考え続けているのだと明かした。

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2001年5月、石川は初めて8000m峰のチョモランマに挑戦し、登頂することに成功した。8000m峰登山は通常とは異なり、エベレストであれば5300m付近にベースキャンプを設営し、徐々に高度を上げながらキャンプ地を作って体を慣らし、頂上を目指していく。ベースキャンプより上では小さなテントを用いており、複数人でテントをシェアし、標高7000mを超えると気温はマイナス10度を下回り、食事は乾燥米や缶詰がメインとなる。標高8000mを超えると酸素は地上の3分の1となり、意識が混濁することもある。深夜0時に頂上へと向かった石川は山頂にて夜明けの絶景を味わった。石川が見たことのない地への旅を始めたきっかけは高2のときにバックパッカーの経験をし、インドへ向かったことにある。インドの地で石川は川に浮かぶ死体の横で平気な表情で泳ぐ子どもたちの姿に衝撃を受けた。以来、石川は世界中を旅し、記憶に留めるために写真や文章を用いて表現するようになった。次第に普通の旅では満足できなくなった石川は、22歳の時に世界から集まった7人の仲間とともに北極から南極まで人力で縦断した。ミクロネシアに受け継がれる古代の航海術であるスターナビゲーションの使い手に弟子入した石川は星だけを頼りに太平洋に浮かぶ点のような島を目指して9日間の航海を行った。石川が常にこだわってきたのは自分の五感を研ぎ澄まして旅をすること。

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石川が8000m峰に感じた魅力は体を極限まで使うことにあった。しかし8000m峰は死の危険と隣り合わせであり、石川はアンナプルナでは雪崩に襲われ、ナンガ・パルバットでは車より大きい氷の塊にテントを押しつぶされていた。高山病で下山を余儀なくされる登山者もおり、ローツェの頂上直下にはいつの時代のものか不明な登山者の遺体が風に揺れ続けていた。石川がほかの14サミッターと大きく異なるのは、8000峰14座登頂の全てをフィルム写真に収めようとしていることにある。東京・渋谷など石川は登山とはかけ離れた人々に8000mで撮影した写真をみせて、その体験を共有している。石川は写真には思い出の引き出しが開かれ、別の旅に変わっていく感覚を与えてくれる力があるなどと伝えた。

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2020年12月、コロナウイルス感染拡大で世界中の人々の行動が制限され、ヒマラヤも閉鎖され8000m峰登山もできなくなっていた。石川は当時、日本国内で被写体を探し、渋谷の路地裏に通い、ネズミに五感を刺激されていた。2022年4月、2年ぶりにヒマラヤ登山が解禁され、石川は解き放たれたようにヒマラヤに向かった。8000m峰登山でなくてはならない存在であるシェルパは冬にはヒマラヤの高所でヤクを放牧し、じゃがいもを作って暮らしている。シェルパは高所登山のガイドとして雇われており、登山シーズンになると足跡の付いていない斜面に登って安全ルートを切り拓いている。シェルパは遠征ごとに短期で雇われ、誰よりも山の怖さを知るが故に、登山の安全を祈る儀式「プジャ」を必ず行っている。石川はそんなシェルパの強い生命力に魅せられ、彼らにレンズを向け続けた。石川にとって特別なシェルパであったペンバ・テンジンとは年は離れていたが、石川は親近感を感じていた。2022年5月、石川にとって6座目となるカンチェンジュンガは地形が複雑なことで知られ、石川たちは頂上付近でルートをシェルパが間違え逆方向に進んでしまっていた。体力回復のため、石川たちは一旦下山して再度頂上を目指した。2度目の挑戦で隊の先導を任されたのがペンバであり、石川はペンバが開いた道を進み頂上にたどり着いた。ペンバは石川にとってガイドを超えてかけがえのない相棒となっていた。石川はペンバと組んでダウラギリ、K2、ブロードピークと登頂し、いつしか14座中8座を制覇して、石川は14座登頂を意識し始めいていた。

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そんな頃、登山界では権威ある登山データベースが8000m峰登頂者リストの書き換えを始めていた。ドローンなどにより地形の把握が進み、最高地点でない場所で登頂としたケースが判明したためであった。これにより石川が登ったマナスルも登頂者から削除されてしまった。石川はマナスルを登り直すことにし、14座制覇を一緒にすると約束したペンバとともに2022年9月、9座目の8000m峰としてマナスルに挑戦した。雪崩が頻発し、多くの登山者たちが引き返した中で石川たちは7000m地点にまで来ていた。石川はペンバから頂上を目指すか撤退するか今決めなくてはならないと決断を迫られ、行こうと即答していた。石川たちは前回頂上とした地点まで進んだが、頂上までわずか30mであったが雪が深く直進できず、一度大きく下がるルートを進む必要があった。30mを1時間かけて進み、石川たちはマナスルの山頂に到着し、石川は霞んだ視界の中でカメラを握り、ペンバにレンズを向けた。2023年4月に10座目となるアンナプルナに挑戦した石川は予定が合わずペンバ不在での登山となっていた。雪崩に苦戦しテントでくすぶっている時に石川はシェルパからペンバが亡くなったと知らされた。石川はアンナプルナの頂上を目指し続け、登頂することに成功した。その後も石川は11座目にナンガ・パルバット、12座目にガッシャーブルム、13座目にチョー・オユーの登頂を成し遂げ、残すは1座のみとなった。

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石川は最後の1座に向かう前にペンバの生まれた村に訪れていた。石川はペンバの遺族たちに思い出の写真を手渡し、ペンバとの登山の日々を話し伝えた。2024年10月、14座目となるシシャパンマに挑戦した石川は2023年10月の挑戦時には唯一プジャを怠ったことを悔い続けていた。そして石川は14座目となるシシャパンマの登頂に成功した。ペンバの法要に参席した石川はこれまでの旅を振り返り、これが終わりではなく新しい旅が始まるのだと告げた。

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(エンディング)
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