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料理家の栗原はるみは5年前、半世紀近く連れ添った最愛の夫を亡くした。栗原はるみは一人の生活を豊かにするための料理“ひとりごはん”のレシピ作りを始めた。
はるみさんは都内の閑静な住宅街に1人で暮らしている。1日の始まりは冷たい牛乳で自分の健康を測っている。1990年代、専業主婦だったはるみさんはレシピ本を次々に発表。独創的で再現性が高いレシピで一躍、超人気料理家になった。これまで考案してきたレシピは2万品。そのほとんどが家族で楽しむための料理だった。2年前から取り組んでいるのは“ひとりごはん”のレシピ作り。1人だと億劫で疎かになりがちな暮らしを豊かにしたいと、試行錯誤を続けている。
はるみさんが“ひとりごはん”のレシピを考えた始めた時、真っ先に頭に浮かんだ料理がある。喪失感を紛らわせるために「チキンスープ」を作ることを自分に課してきたという。はるみさんが“ひとりごはん”に取り組むようになったきっかけは夫・玲児さんを亡くしたことだった。21歳の時、当時テレビキャスターだった玲児さんと出会ったはるみさん。はるみさんがこれまで考案してきたレシピは全て玲児さんに喜んでもらうためと言っても過言ではなかった。玲児さんの死後、はるみさんに宛てた手紙が見つかった。深い悲しみの中で、仕事以外で料理を作る気力も無くしていたはるみさん。1週間に1度、必ずチキンスープを作るようになった。決められた習慣をこなすことで、崩れそうになる自分を支えることができたという。
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はるみさんは玲児さんを亡くした後、どう生きていくのか100のリストを書き出した。福島の人々と交流することもリストの1つにあげた。玲児さんを亡くした直後、偶然、福島の復興支援のイベントに招かれた時、元気をもらえたからだという。以来、何度も福島を訪れたはるみさん。前を向いて生きる。福島の人々と交流することが生きがいの一つになっている。100のリストの中で、はるみさんが料理家として取り組みたいと考えたのが“ひとりごはん”のレシピ作りだった。「ごちそうひややっこ」は残りもので作る。
はるみさんには“ひとりごはん”を考案している時にふと思い出す玲児さんの言葉がある。肺がんで亡くなる半年前、はるみさんの誕生日に玲児さんは友人たちに「こらからもどうかはるみを支えていただきたいと思います」と話した。玲児さんのためにも立ち直ろうとしてきたはるみさん。今も晩ごはんを一人で食べることはできないという。そんなはるみさんは“ひとりごはん”に向き合うことで少しずつ心を回復させようとしている。
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“ひとりごはん”ならではの「大きなえび天丼」は衣の散ったのを熱いうちに上に乗せてごまかす。はるみさんは考案した“ひとりごはん”をSNSに投稿している。フォロワーは70万人以上、共感の声が寄せられている。
はるみさんには一人で生きていくことの豊かさを教えてくれた料理がある。福島の友人から紹介された水野ウメ子さんが用意していたのは見たことがない太巻きだった。はるみさんより10歳上のウメ子さんは25年前に夫を亡くして以来、1人で暮らしてきた。
1人になって5年、はるみさんは今、1日1日を慈しむように生きている。75歳からギターも始めた。熱心に取り組んでいるのは大好きな佐野元春さんの曲だ。今、はるみさんには挑戦してみたい“ひとりごはん”がある。「コンソメスープ」は肉や野菜を長時間煮込み、濁りが出ないように丁寧にアクを取り続けて作る伝統的なフランス料理。料理家になって40年、本格的に手作りするのは初めてだという。今回挑戦するのは2種類の牛肉を使ったコンソメスープ。スープを取った後の肉も料理に。玲児さんの最後の手紙を思い出して、はるみさんは「楽しく生きたい」と話した。
自分のために“ひとりごはん”と向き合い始めて2年、はるみさんに大きな変化が生まれている。玲児さんが好きな味のポテトサラダを作ると玲児さんのことを思い出すたびに涙が止まらなかったが、今は笑顔で自分のために作っている。
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