- 出演者
- 糸井羊司 今井翔馬 副島萌生 晴山紋音
オープニング映像。
オープニングの挨拶。今夜は放送時間を1時間に延長してお伝えする。
東日本大震災と福島第一原発事故の発生からきょうで15年。仙台空港から中継。ヘリポートにはNHKの報道ヘリコプターが配備されている。カメラでいち早く上空から捉えたのは沿岸各地を襲った津波だった。陸上自衛隊の空中伝送班のヘリで当時被害状況を伝えていた山元1等陸曹は目から入ってくる光景を処理してことばに表すのができない状態だったと振り返る。15年たったがあの日上空から見た光景は自分の中で一生消えることはないと話した。
被災地はきょう再び3月11日を迎えた。大学敏彦さんは津波で妻・両親・兄・おいを亡くした。月命日には欠かさず祈りを続けてきた。町の40%近くが津波で浸水した宮城・山元町では犠牲になった命が石碑に刻まれている。地震発生時刻の午後2時46分、各地で黙祷が捧げられた。死者・行方不明者は震災関連死を含めて2万2230人。今も2519人の行方が分かっていない。
娘の行方が分からないまま15年を過ごした瀬尾さん夫婦。夫婦は多い時には月2回ほど東京から大船渡に通い続けてきた。月日を重ねる中で心境に変化も出てきたという。今はここにくると娘がいると気持ちになり心が安らぐ感じになったと話した。
震災と原発事故で今も避難生活を余儀なくされている人は2万6281人に上っている。浅野さん夫婦は15年の月日の中で帰還を諦めるようになった。福島県で追悼式に出席した高市首相は教訓を風化させることなく後世に継承してまいると述べた。
15年が経ち復興に向けた一歩を踏み出した人もいる。大清水タミ子さんは浪江町の実家に去年戻り震災前から営んでいた居酒屋を隣の双葉町で再び始めることにした。店の名前は「こんどこそ」。プレオープンのきょうは震災前の常連客の姿もあった。
高校2年生の三浦大和さんは語り部として活動している。当時2歳だった大和さんは祖父を津波で亡くした。語り部を務めていた祖母の背中を見て育った大和さんは震災を知らなくても伝えていいとこれからの世代に伝えたいと話す。
NHK ONE ニュース・防災アプリの告知。
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岩手・山田町の山根捺星さんは愛称はなっちゃんで活発な女の子だった。震災当時は通っていた幼児教室の修了式に参加していた。その後、自宅にいたところを津波に巻き込まれた。家族は姿を探し続けたが何の手がかりも得られないまま時間だけが過ぎていった。去年秋、自宅から70km以上離れた宮城県で見つかった骨の一部が捺星さんと特定された。捺星さんは大切な人を探す人たちの一筋の光になっている。宮城・気仙沼ではボランティアや警察官などによる行方不明者の捜索活動が5年ぶりに再開された。85歳の佐藤智恵子さんも背中を押された一人。年を重ね自分の足で探し歩くことは難しくなったが、捺星さんの知らせを聞いて強まったのは夫・章吾さんに会いたいという願い。きょう気仙沼の海岸には捺星さんの家族の姿があった。遺骨が見つかったとみられる場所を4人で訪れることができた。
高市首相はイラン情勢の緊迫化を受けて今月16日にも日本単独での石油備蓄の放出を行う考えを明らかにした。高市首相は「原油価格が上昇した場合にはガソリン価格の上昇が見込まれるがそうした中でも小売価格を全国平均で170円程度に抑制するとともに軽油などについても同様の措置を講じる。中東情勢の動向やそれを受けた原油価格の水準も見極めながら必要な手を打ってまいる。IEAと連携した国際的な備蓄放出の正式な決定を待たず率先して需給の緩和に向けて今月16日にも備蓄放出を行うことを決定した」などと述べた。
仙台空港から中継。あの日、大量の海水や土砂が流れ込み滑走路などには約2000台の車が漂着した。
宮城・南三陸町で町長を務めた佐藤仁さん。震災15年を記録した手帳を初めて公開した。そこに記されていたのは罪悪感だった。15年前のあの日、佐藤さんがいたのは町の防災対策庁舎。高さ12mの庁舎を15mを超える津波が飲み込んだ。津波が引いた後、庁舎の屋上に残っていたのは佐藤さんを含めて10人。職員や住民など43人が亡くなった。凍える寒さの中、ずぶ濡れの佐藤さんたちを救ったのは職員がライターで流木などを燃やしてつけた火だった。800人以上が犠牲になった南三陸町で始まった復興への長い道のり。手帳には一人抱えていた苦悩も記されていた。佐藤さんが目指したのは二度と津波で命を失わない町。防災対策庁舎を震災遺構として保存し、住宅の高台移転に取り組んだが当初は思うように進まなかったという。こうした経験から今訴え続けている言葉は「事前復興」。起きる前から災害を想定して復興の方針を決めておくこと。佐藤さんは全国で講演を行い事前復興の重要性を訴えている。
今重要性が指摘されている事前復興。専門家が強調するのは通常のまちづくりの延長線上にあるということ。津波の浸水被害を受けた地域では15年で暮らしぶりに大きな違いが出ているところがある。仙台市・蒲生北地区では住民のほとんどが内陸部に集団移転し、元の場所で暮らしているのは7世帯しかなく郵便局・駐在所などもない。集団移転で高台に整備された復興団地も今後の存続が危ぶまれる状況になっているところも。牧浜地区の団地では震災10年を過ぎたころから亡くなる人などが相次ぎ今では7世帯に。一方、野蒜地区では集団移転のあともコミュニティーが存続している。高台に移転した住民と現地で再建した住民が月に一回、一緒に地域食堂を運営している。東松島市では震災前から住民どうしなどが地域課題やまちづくりを話し合う枠組みがあったという。そうした枠組みは復興の局面でも活かされた。専門家は通常のまちづくりの課題や地域の意思決定の仕組みを作っておくことが重要な根本の部分だと指摘する。
事前復興計画について国の調査では全国の自治体で策定しているのはわずか2%。南海トラフ巨大地震で深刻被害想定の自治体に絞っても39%しか着手できていないことがNHKの調査で分かった。自治体が目の前の課題に向き合い将来の持続可能なまちづくりを住民と行政が一緒に議論しておくことが事前復興の取り組みに繋がる。
福島第一原発事故発生から15年が経ち、今では多くの場所で除染が進められ放射線量が下がり作業環境が改善した。1号機は今年1月、放射線物質の飛散を防ぐ大型カバーが設置された。建物内にある原子炉などには核燃料デブリが今も残されている。この取り出しが廃炉作業最大の難関とされているがその作業はほとんど進んでいない。核燃料デブリは1号機~3号機で計880トンあると推計されているがこれまでに取り出したのは10億分の1ほどにとどまっている。政府と東京電力が公表した廃炉の工程表では2021年までに取り出しを始め2036年までに終える計画だったが実際に始まったのはおととしで試験的な形だった。本格的な取り出し開始時期は2037年度以降にずれ込む見通し。政府と東京電力が掲げる2051年までの廃炉の完了が実現できる見通しは立っていない。一方、全国で原発の再稼働が相次いでいる。今年1月には柏崎刈羽原発6号機が再稼働した。一方、中部電力の浜岡原発3号機・4号機では審査で地震の想定を意図的に過小評価していた疑いが明らかになった。避難を余儀なくされている柴田さん夫妻は自宅が帰還困難区域に指定され今も自由に立ち入ることができない。父親は自宅に帰ることを望んでいたが病気で亡くなった。帰還困難区域に指定され帰還できないまま亡くなった人は1800人以上いる。
イラン情勢の緊迫化を受けて高市首相は今月16日にも日本単独での石油備蓄の放出を行う考えを明らかにした。さらに産油国との共同備蓄も迅速に活用していくとなどしている。またガソリン価格の値上がりに対応するため1リットルあたり170円程度に抑制する激変緩和措置を実施する考えを示した。
全国の気象情報を伝えた。
