2024年8月24日放送 5:40 - 5:50 NHK総合

NHK映像ファイル あの人に会いたい
NHK映像ファイルあの人に会いたいアンコール 稲盛和夫(経営者・京セラ元会長)

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オープニング

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(NHK映像ファイル あの人に会いたい)
稲盛和夫

経営の神様と言われた稲盛和夫さんは自ら開発したバイオセラミックスの技術をもとに京セラを一代で世界に成長させた。また日本航空の再建も果たした。稲盛さんは昭和7年に鹿児島で7人兄弟の次男として誕生した。10代で結核にかかり、中学の受験に2度失敗し、大学も志望校に入れず挫折だらけの青春時代を過ごした。鹿児島大学を卒業後に電柱などに絶縁のために取り付ける碍子というセラミックス作るメーカーに就職した。しかし給料は遅れがちで、仲間は次々に辞めていく有様に。会社に泊まり込んで開発に没頭し、日本で初めて新しいセラミックス素材の合成に成功した。家電メーカーからテレビ用に大量の注文が入った。しかし自分の開発した新しい材料を使ってセラミック死真空管を作りたいとの要望があり、当初は喜んで引き受けたが上手くいかなかったという。昭和34年に稲盛さんはかつての上司と部下8人で京都セラミック株式会社を設立した。会社は順調なスタートだったが、3年目に思わぬ難題が。若手社員からボーナスや定期昇給などを突きつけられたという。そのことで会社は皆が喜んでくれるようにしてあげるのが目的と感じ、全業員の物心両面の幸福に追求し、人類、社会の進歩発展に貢献すると約束。これが経営の原点だった。

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会社の規模が大きくなる中稲盛さんはアメーバ経営という画期的なし手法を生み出した。会社の組織をアメーバと言われるちさなグループにわけて独立採算で運営した。その後京セラは電子機器メーカーやカメラメーカーなどと合併し事事業を拡大していった。昭和59年には通信の自由化の流れをうけて異分野だった通信事業にも乗り出し第二電電企画を設立した。50歳を過ぎた頃から若手経営者の勉強会の盛和塾の活動にも積極的に行った。海外にも1万5千人ほどの塾生が参加するように。78歳のときには経営破綻した日本航空の再建に乗り出し、自らの経営哲学がいかされた。2012年に日本航空は破綻から2年で株式に再上場した。90年の生涯だった。

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