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オープニング映像。
8月、北海道紋別市で先住民族アイヌによる儀式が執り行われていた。1931年、アイヌ民族は北海道開拓により言葉や文化を奪われ、墓は掘り起こされ、遺骨は研究対象とされてきた。アイヌへの差別は巧妙に形を変え現代でも行われ続けており、公共の場でも露わとなった。
北海道札幌市、地下広場では「アイヌの史実を学ぼう!」と題したパネル展が開催し、パネルには差別的な記述が堂々と披露されていた。アイヌ民族は日本列島北部周辺の先住民族で、独自の言葉や文化を有し、狩猟・採集の生活を送っていたが、明治政府が進めた同化政策によってアイヌの暮らしは激変した。北海道旧土人保護法によりアイヌの人々は慣れない農業への転換を促され生活が困窮した。しかしパネル展では「至れり尽くせり 北海道旧土人保護法」と記述され、アイヌにとって屈辱的な法律を賛美していた。その結果、来場者同士で対立する場面もあり、警察が仲裁に入る騒ぎにまで発展していた。その発端となったのは「先住民族って?」と題したパネルで、北海道にはアイヌ以前に日本人共通の先祖である縄文人が1万年以上も住んでいたと記載されていた。アイヌが政府に先住民族だと認められるまでには時間がかかっており、1986年には中曽根康弘首相(当時)が日本は単一民族だと発言していた。2019年にアイヌを先住民族だと始めて正式に明記したアイヌ施策推進法が成立し、罰則がないものの差別が禁止となった。パネル展の主催者に事実と反するのではと指摘すると、主催者側は自分たちは素人であるがその中で判断して実施したなどとした。先住民族について室蘭工業大学の丸山博名誉教授は、国家建設以前からその地で生活してきた民族たちのことであり縄文時代の人々という遥か昔の人々を先住民族の議論に持ち出すこと自体がナンセンスなことなどと指摘した。
札幌市がパネル展開催を認めた理由に表現の自由をあげており、秋元克広市長は法律的に専門家から開催を拒むことは難しいと伺い、開催を認めざるを得なかったなどと説明した。アイヌの山下らはパネル展を止めなかった真意、抗議の署名を札幌市に提出した。山下と一緒に署名を提出していた井上は北海道白老町で暮らしており、学生時代には自分がアイヌだと言えない生活を送ってきており、相手を攻撃するのでなく、自分たちを知ってもらうことを広めていくことが大切だと感じているなどと告げた。
6月、北海道札幌市でパネル展の展示内容に反対する市民集会が開催し、200人以上が参加して差別反対の意思を示していた。北海道平取町ではアイヌが多く暮らしており、アイヌの歴史や文化を発信している。その町で暮らしている木村は幼少期から様々なアイヌ差別を受けており、今では我が子達にアイヌであることをメディアで発信しないよう言われており、今尚生きるうえでアイヌであることが不都合があるのだと告げた。山下は出自を隠して看護師をしていたが度々嫌がらせを受けてきていたが、そうした差別には抵抗していかなければならないなどと伝えた。1959年の北海道新聞にはアイヌの遺骨が並べられた写真が研究成果として記載されており、差別への自覚の無さが露呈していた。平取町にあるクワはアイヌの墓標であり、19世紀後半から国内外の研究者が墓地を掘り起こし研究対象として遺骨を収集し始め、国内12大学により約2000体の遺骨が保管され、近年になり謝罪や返還が相次いでいる。5月、イギリス・ロンドンの自然史博物館がアイヌ民族の遺骨7体を返還した。
返還された遺骨の一部は白老町の民族共生象徴空間 ウポポイにある慰霊施設に納められ、そこには約1600の遺骨が保管されている。8月、紋別市でおよそ50年前の発掘調査で見つかった遺骨が返還された。7月、北海道大学が過去の遺骨収集について初めて謝罪を行った。木村は過去に目を閉じるものに未来はなく、同じ事を繰り返すのかと思ってきたなどと語った。
山下はアイヌの先祖たちの遺骨があってきたことを思うと自分は関係ないとはいかず、そこへ向き合ったときにはヘイトとの闘いがあり、自分にできることを覚悟を持ってやっているなどと明かした。公共施設の使用基準を検討している札幌市では8月に中間報告を発表し、「アイヌはもういない」は差別的言動に含まれると一歩踏み込んでいた。北海道大学は構内にアイヌとの繋がりを伝えるモニュメントを設置した。木村はアイヌモシリ(アイヌの大地)は先祖たちが先住した土地であり堂々と生きて欲しいなどと語った。
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