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オープニング映像。
栄一さんは山梨・北杜市白州町で行列のできるすいか屋「すいかばか」を営んでいる。来店したら無料の試食コーナーに案内され、栄一さんが美味しく食べるための方法をレクチャーする。客の声から生まれた13種類のすいかは味も食感も異なり、食べる時間も決まっている。栄一さんは白州町の農家の長男として育った。母親の実家が長野・松本市のすいかの産地だった縁で一家ですいか栽培を始め、小学生の頃から手伝ってきた。高校卒業後は一度就職したが、父親の他界を機にすいか作りに一念発起した。138パターンの交配を25年かけて地道に研究し、種類を増やしてきた。
妻のひとみさんは青森出身で、会社員時代に出会った。38年前結婚を機に山梨にやってきた。3人の子を育てながら知らない土地での農作業は苦労の連続だった。すいかの収入だけでは生活できないため、繁忙期以外の秋から冬は橋などの点検を補助する仕事で県外へ出向いている。季節外れのヒョウで実が傷ついたり、異常な暑さでツルが枯れるなどその道は試練ばかりだった。直売を始めた20年前はひと夏で200人ほどだった客は、2500人が来店するまでに成長した。栄一さんは、ひとみさんの誕生日に青森行きのチケットをプレゼントした。ひとみさんは、結婚以来数えるほどしか青森に帰れていなかった。
栄一さんの店に来店した佐藤さんは10年前にパーキンソン病を発症し、進行とともに体を自由に動かすことが難しくなった。すいかばかの店に通い始めて3年。今年は病気を理解してくれた彼と結婚することになった。佐藤さんは現在施設に入居し、彼とは別々に生活している。看護師として働いていたが43歳の時に病気を宣告された。元夫とは子どもが高校生の時に病気が原因で離婚した。佐藤さんは、今は独りで生活しているから直売所でお父さんたちと喋ると楽しいと話した。この夏は彼と一緒に花火を見ながらすいかを食べた。
栄一さんは両親や兄弟を住んでいた空き家の整理中、母親の出身である長野・松本市の遺族会がまとめた戦争の記録を見つけた。栄一さんの祖父はフィリピンで戦死した。松本市波田はすいかの産地で、栄一さんのすいかのルーツ。戦争はすいかの産地となった波田で大切な時間を奪った。戦争で兄を亡くした百瀬さんは、家族ですいかを食べた記憶はないと話した。栄一さんは、子どもたちとすいかを囲める社会であってほしいと話した。しかし戦争は今もすいかに影を落とす。中東情勢の緊迫化に伴うナフサ不足の影響で緩衝材が値上がりし、栄一さんもすいかを1キロあたり50円値上げした。栄一さんの店ですいかを買ったイラン出身の男性は、甲府市で一緒に暮らす3人の家族と一緒に食べた。イランには1年中すいかがあり、家族で一緒にすいかを食べていたという。一緒にすいかを食べたテヘランの兄弟とは10年以上会えていない。
NNNドキュメント’26の番組宣伝。
