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オープニング映像。
92歳の雛世志子さんは2年前、自宅で倒れ、老人ホームで生活している。出身は大阪で、7歳のときに家族で広島に移住。1945年8月6日、原爆が投下され、惨状を目の当たりにした。知人を探すべく爆心地に入り、被爆。父親は白血病に苦しみ、1年を待たずに亡くなった。18歳になった雛さんは姉とともに沖縄へ渡った。嘉手納町に隣接する歓楽街のコザは賑わい、ホステスやバーテンダーとして働いた。20歳の時、常連客だった米兵との間に長女を授かった。子育てに熱心だったが、「おしめを買ってくる」と言い残し、国へ帰ってしまう。
雛さんは接客でベトナムの戦場へと駆り出される兵士たちと交流し、心を痛めた。アメリカ統治下の60年代、沖縄に核ミサイルの発射基地が4カ所あった。威力は広島に投下された原爆の約70倍とされ、命令が下れば発射できる状態にあった。嘉手納基地に広がる森林地帯には多くの弾薬が保管されている。雛さんは被爆者への偏見を感じ、被爆体験について口を閉ざしていたが、孫の成長をきっかけに証言を始めた。
雛さんは94歳になる屋良鶴子さんのもとを訪れ、若かりし頃の話で盛り上がった。屋良さんは15歳の時、県民の4人に1人が犠牲になったとされる沖縄戦を体験し、米兵による投降の呼びかけに従った。沖縄戦の体験者のなかには原爆投下よりも酷烈な日々を送ったと考える人もいて、本土出身者を好ましく思わないという。この数年、雛さんは被爆証言から距離をとっていた。
今月、玉城デニー知事は新基地建設をめぐり、国が求めた設計変更の承認を見送った。平和がゆらぎ始めるなか、92歳の雛さんは再び腰を上げ、被爆体験を語り始めている。長女は3人の子供を出産し、次の世代へ命を繋いでいる。
「NNNドキュメント」の次回予告。