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反日感情が強かった戦後の韓国で、國田房子さんは差別と貧困に喘ぐ日本人妻たちを支えてきた。残留日本人妻の多くはすでに死去し、その存在は歴史に埋もれようとしていた。
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- 墨田区(東京)
戦時中、戦後に釜山で亡くなった日本人の慰霊碑が韓国・釜山の郊外にあり、國田房子さんが長年に渡って取り仕切ってきた。日本の統治下にあった朝鮮半島では朝鮮人男性との結婚が奨励され、終戦後も日本人妻は韓国にとどまった。その数は2000人以上いたとされる。國田さんは終戦直後、4人の子どもを連れ、夫である朴起龍氏の故郷、韓国・釜山へ向かった。周囲から冷遇されるも、國田さんは負けん気が強かったという。暮らしぶりも豊かになり、夫妻は8人の子どもに恵まれた。一方、日本人妻は差別、貧困に苦しみ、国交のない日本には帰るすべはなかった。1952年、國田さんは日本人妻たちの互助会を立ち上げ、芙蓉会に名前を変えた後も國田さんが会長を務めた。
芙蓉会の会員は多い時で1000人ほどに達し、65年には日本と韓国の国交が正常化。だが、反日感情は根強く、唾を吐きかけられ、石を投げられ、罵倒されたこともあった。國田さんは日本政府に対して、日本人妻への支援物資、援助金を求め、帰国も支援してきた。だが、里帰りを果たしても、「韓国人と一緒になったのに何しに来た?」と居場所は失われていたという。國田さんを支えてきた夫の朴起龍氏は96年に死去。さらに残留日本人妻の平均年齢は90歳を超えるまでになり、2017年には10数人ほどだった。2017年、90歳だった遠藤ノブさんは故郷である福島への思いを語った。2020年8月、94歳で死去した。
韓国・慶州にある福祉施設には残留日本人妻たちが暮らしてきたが、今の入所者は3人。いずれも國田さんを知らない。入所者の1人で98歳の大吉マツさんは会話が難しいものの、ふるさとの歌は今でも諳んじてみせる。國田さんは108歳となり、昨年から4女のもとで生活している。かつての記憶はだいぶ薄れたが、自らが立ち上げた互助会の歌は今でも歌うことができる。韓国で困っている日本人妻がいるとしたら、可能な限り、手を差し伸べてあげたいという。
「NNNドキュメント’23」の次回予告。