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「特集 あの日 昭和20年の記憶」 のテレビ露出情報

「あの人に会いたい」はNHKに残る映像をもとに著名人を紹介する番組。ことし1月に亡くなられた漫才トリオ・かしまし娘などでも活躍した正司歌江さんの貴重な映像をご覧いただきます。俳優としても数々の作品に出演。昭和4年、北海道で生まれた正司さん。両親は一座を率いる旅芸人でした。初舞台は3歳。男の子のような出で立ちでいることも多かったという。12歳の頃、次女の照枝さんとコンビを結成し天才少女漫才と呼ばれ脚光を浴びる。妹の面倒を見ながら舞台にあがる毎日でした。戦争中は慰問にも出かけた。18歳のとき一時芸能界から離れる。親に勘当されキャバレーで働くなど職を転々とした。富山に移り芸者として働くが華やかな舞台が忘れられなかったといいます。転機となったのは父からの手紙で2人の妹がコンビを組んだものの泣かず飛ばすで見かねた父が正司さんを呼び戻そうとしたのです。昭和31年、3姉妹はかしまし娘を結成し瞬く間に人気を集めます。第一回上方漫才大賞も受賞。結成から4半世紀が経つと人気にかげりが出てきてある日社長から「あんたたちは今の時代やない。もうやめないかん」と告げられた。昭和56年にかしまし娘の活動を休止し正司さんは途方に暮れます。俳優として再出発したが生活のためやれることは何でもやった。少しずつ演技力が評価され「大河ドラマ 峠の群像」などに出演。平成8年、久しぶりに3姉妹で舞台「三婆」に出演しかしまし娘の活動も再開した。仕事となると姉妹でぶつかり合うこともあったというが正司さんが足に怪我をしたときには妹たちが気遣ってくれました。ひたむきに演じることで幅広い世代に親しまれた94年の生涯でした。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年12月29日放送 6:10 - 6:40 NHK総合
耳をすませば女性の幸せづくりに情熱を燃やして〜桂由美×赤松良子〜
男女雇用機会均等法の制定に尽力し「均等法の母」と呼ばれた赤松良子は昭和4年大阪生まれ。「女のくせに」という言葉が何より嫌いだった。戦後、女性参政権の実現に心を踊らせ東京大学で学んだ後、1953年に労働省(現・厚生労働省)に入省。女性だという理由だけで婦人少年局へと配属された。同期の男性職員が続々といろんな部署を経験し昇進する中、赤松は留め置かれた。高度経済成[…続きを読む]

2024年5月29日放送 16:05 - 17:00 NHK総合
午後LIVE ニュースーン蔵出しセレクション
かつて文部科学大臣を歴任した赤松良子さんは生前は女性の地位向上に力を注ぎ、1985年当時男女雇用機会均等法の成立に尽力していたが今年94歳で亡くなった。赤松良子さんは昭和4年に大阪で産まれ、女学校時代は働く女性へ憧れをつのらせつつも女性に参政権が無いことに疑問をいだいていた。東京大学を卒業後は当時の労働省に入省し、女性という理由だけで夫人少年局に配属された。[…続きを読む]

2024年5月18日放送 5:40 - 5:50 NHK総合
NHK映像ファイル あの人に会いたい(NHK映像ファイル あの人に会いたい)
赤松良子さんは女性キャリア官僚の草分け的な存在で、職場での男女の平等を目指す男女雇用機会均等法の成立に尽力。女性の地位向上に力を注いだ。細川羽田内閣では民間から入閣し文部大臣を務めた。赤松さんは昭和4年に大阪で生まれお転婆で女のくせにという言葉がなによりも嫌いだった。女学校時代に働く女性へのあこがれをつのらせていく。戦後に女性の参政権が認められると心が踊った[…続きを読む]

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