TVでた蔵トップ>> キーワード

「アンパンマン」 のテレビ露出情報

やなせたかしさん、暢さんの夫婦の実像に迫った。やなせたかしさんの事務所やなせスタジオ。20年以上やなせさんの秘書を務めていた越尾さん。終戦後、やなせさんと暢さんは縁の地・高知新聞社で同僚として出会う。上京後の昭和24年に結婚。70年以上前に東京・新宿区で暮らし始める。特別にアトリエへ入れてもらった。暢さんは、やなせさんがやりたいことを自由にできる環境を作るため、自分がどうすればいいか考えられる人だという。放送作家などしながら漫画家としての活躍を目指していたやなせさん。42歳の時、作詞した歌「手のひらを太陽に」がヒット曲となった。しかし当時のやなせさんの思いは「漫画は売れないしどの方向に行ったらいいかわからなかった」などと話す。暢さんについて越尾さんは、「暢気にダラダラ暮らすのはイヤという人」だったという。やなせさんが暢さんのために自宅に作った茶室。越尾さん暢さんの弟子。暢さんから誘われやなせスタジオに入社。入社早々、暢さんから金庫の鍵などを渡されたという。高知で男勝りの女性を意味する「はちきん」と呼ばれていた暢さん。そんな妻に支えられやなせさんは遂に昭和48年絵本「あんぱんまん」を発表。戦争中に飢えを感じた体験などに基づく自己犠牲のヒーローの作品だったが、世間の大人たちからは散々な評価だった。しかし、地元にあるカメラ店で、店主が幼稚園児だった頃に母親が「息子がアンパンマンが大好き」とやなせさんに伝えたという。後日、やなせさんが初めて市販されたアンパンマンの絵本を持って来たという。昭和63年にはアニメ放送も始まり国民的キャラクターへ。70歳になった暢さんを病魔が襲った。やなせさんは仕事を徐々に断って、暢さんのそばにいる時間を増やそうとしたという。平成3年、やなせさんが勲四等瑞宝章を受章し、暢さんと園遊会に招かれることに。上皇さまはまずややなせさんと話し、暢さんには苦労をねぎらう様子が。美智子さまからも声をかけられると満面の笑みを浮かべる暢さん。その2年後の11月22日に暢さんは75年の生涯を閉じた。その時のやなせさんの様子は、自分の身体をもぎ取られたような感じだったという。暢さんと暮らした新宿で、絶望を乗り切る生き方を模索。2人の自宅近くにあるゆでたん発祥の店と言われる老舗たん焼き 忍の女将さんは「町起こしをしてくれた」、四谷三丁目交差点近くにアンパンマンショップを開店。さらに新宿区の防犯キャラクター「新宿シンちゃん」を制作。今でも歌い継がれているやなせさん作詞作曲の幼稚園の歌も。2013年、94歳で亡くなったやなせさん。激動の時代を支えた妻の暢さんのあの時の笑顔が心に刻まれていたという。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年9月23日放送 23:00 - 23:59 日本テレビ
news zero(スポーツニュース)
首位・鹿島を勝ち点3で追いかける京都。出場5試合連続得点し、リーグトップタイの16得点と活躍するラファエル・エリアスのアンパンマンパフォーマンスが話題だと紹介した。娘との約束で行ったという。

2025年9月22日放送 11:50 - 13:50 フジテレビ
ぽかぽかぽいぽいトーク
本日のゲスト天童よしみ&戸田恵子の紹介。

2025年9月12日放送 8:15 - 9:55 NHK総合
あさイチ(エンディング)
視聴者からのお便りを紹介。「言わずもがな」などの発言からたくさん本を読んでいるのかと質問があり、北村さんは本も読んでいるし脚本を年中読んでいるのもあるかもしれないと話した。また、アンパンマンで好きなキャラクターについても質問があり、北村さんはしょくぱんまんと答え、子どものときの憧れだったと話した。

2025年8月28日放送 12:00 - 13:40 テレビ東京
昼めし旅北海道富良野市
ジャムおばさんのジャム工房を訪問。昭和61年開業で、先代の大久保嘉子さんはジャム作りた上手で、ジャムおばさんの愛称で親しまていた。ハスカップ、野菜のジャムなど、約30種類のジャムを販売している。さらに店内ではジャムを使ったスイーツも味わえる。「アンパンマン」の生みの親である、やなせたかしさんに書いてもらったオリジマルキャラのジャムおばさんも人気。なんでも大久[…続きを読む]

2025年8月27日放送 20:00 - 21:00 日本テレビ
千鳥かまいたちゴールデンアワーどこかで聞いたことある音イントロクイズ
3チームに分かれて、どこかで聞いたことある音イントロクイズ。最下位チームは1年間ハマチ禁止。ルールは早押し、不正解でも何度でも答えられる。「LINEの着信音」などが出題された。最下位は千鳥チーム。

© 2009-2025 WireAction, Inc. All Rights Reserved.