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「のぞみ34号」 のテレビ露出情報

淺野さんは脱線衝突事故で妻と妹を亡くし、娘は重傷を負った。2005年4月25日、JR福知山線 脱線衝突事故は起きた。淺野さんは犠牲者が一番多かった2両目に乗っていた。親戚の見舞いに行くため新大阪駅に向かう途中だった。妻の安否が分からず遺体安置所となった体育館に足を運び続け、対面できたのは事故から40時間後だった。一級建築士の淺野さんは33歳で事務所を構え、妻は経理を担当していた。JR西日本に不信感を抱いたのは、通夜の場で当時の会長が補償の話を口にした時だったという。事故は、当時23歳の運転士の速度超過によって起きた。しかし、JR西日本は事故当日にまったく異なる原因を発表、置き石が原因だと説明していた。社長が遺族との話し合いに応じたのは半年後。原因についえては「事故調査委員会が調べている」と繰り返すだけだった。2年後に公表された航空
・鉄道事故調査委員会の報告書で事故原因は運転士のスピード違反、その背景には懲罰的な日勤教育の存在があったことが示された。
淺野さんの呼びかけで実現した遺族とJR西日本の共同検証。課題検討会はその後、安全フォローアップ会議へと続き、専門家も交えて再発防止のための安全対策をまとめた。被害者と加害企業の枠を越えた異例の取り組みだった。月に1回の話し合いを3年余続けた淺野さん。長女の充智さんは「たくさんの人がボロボロになったのを見て、JR西日本がこれだけの事故を起こしたことを無駄には絶対にされたくないという思いが父にはあった。意味のあることに変えてほしいという、そうすれば少しは納得できる気がします」と話した。
事故の翌年、社長に就任した山崎正夫氏は子会社から急遽呼び戻された。去年、JRを離れた山崎氏。14年前、遺族との共同検証という異例の取り組みに道筋をつけたのは山崎氏だった。完成した安全フォローアップ会議の報告書。運転士の速度超過の背景には複数のリスクが存在し、事故は連鎖して起きたことが記されている。運転士への懲罰的な教育、営利主義に基づく過密なダイヤ、技術的な不備。JR西日本に必要なのは企業風土の抜本的な改革だと提言した。しかし、福知山線事故の後もなくならない現場職員と経営層の間の壁、各部門の縦割りによる連携不足。山崎氏は志半ばで社長を辞任したためやり残した思いがあるという。

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