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「ひめゆり平和祈念資料館」 のテレビ露出情報

大越健介キャスターが沖縄県糸満市の平和祈念公園から中継。アメリカがイスラエルに加勢して、イランの核施設を攻撃した。その衝撃のニュースの一報から1日半、イランは報復の構えをみせていて中東の危機のレベルは明らかに高まっている。太平洋戦争末期、日本唯一の地上戦の現場となった沖縄は、組織的な戦争が終結したきょう6月23日を「慰霊の日」と定め、祈りに包まれる。軍民国籍を問わず戦没者1人1人の名前が刻まれる「平和の礎」には今年も新たに342人の名前が刻まれ、その数は24万2567人にのぼった。沖縄戦が終結して80年、その記憶と歴史の継承が今改めて問われている。「戦後80年 沖縄全戦没者追悼式」で、沖縄県の玉城デニー知事は「住民を巻き込んだ沖縄戦の実相と教訓を、県民一丸となった不断の努力によって世代を越えて守り続けていくことは、いまを生きる私たちの使命ではないか」などと述べた。石破茂総理大臣は「私達が享受している平和と繁栄は、尊い犠牲と沖縄の歩んだ筆舌に尽くし難い苦難の歴史の上に築かれたもの」などと述べた。平和の詩「おばあちゃんの歌」で、伊良波小学校6年の城間一歩輝さんは祖母から聞いた戦後の話を伝えていく決意を語った。今年注目を浴びたもう一つの慰霊祭が「ひめゆりの塔慰霊祭」で、負傷した日本兵を看護するため動員された「ひめゆり学徒隊」の展示について、自民党の西田昌司参院議員が「歴史の書き換え」などと発言したことに怒りの声が上がっていた。現職の総理大臣が慰霊の日にひめゆりの塔を訪れるのは、村山総理以来30年ぶりのことだった。ひめゆり平和祈念資料館には戦火に巻き込まれ亡くなった生徒たちの顔写真と合わせ、どのように亡くなったかの詳細が記されている。「沖縄陸軍病院 南風原壕群20号」は高さ1.8m、横幅1.8mの壕。ここで少女たちは満足な薬や食料もない中、運び込まれた日本兵の看護に必死にあたった。アメリカ軍の攻撃が激しさを増す中、6月18日にひめゆり学徒隊は日本軍から突然解散命令を告げられた。少女たちは砲弾の嵐の中を逃げ惑い、犠牲者の8割以上が解散後に命を落とすことになった。語り部の多くが亡くなり、経験者は減る一方。去年96歳で亡くなった与那覇百子さんの息子・満さんは、母の遺志を継ぎ体験を語り継ぐ講演活動を始めようとしている。
住所: 沖縄県糸満市字伊原671-1
URL: http://www.himeyuri.or.jp/

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月11日放送 19:00 - 21:54 日本テレビ
日本人を支えた80年80曲日本人を支えた80年80曲
宮沢和史が「島唄」を熱唱。曲が生まれたきっかけは宮沢和史がひめゆり平和祈念資料館で出会った当時学徒隊のあばあさん。沖縄の激戦で犠牲となった多くの住民の話を聞き、このおばあさんにぜひ聞いてもらいたいと作ったそう。

2025年8月6日放送 19:30 - 20:42 NHK総合
クローズアップ現代#5039 戦後80年 テレビが伝えた“あすへの希望”
戦後復興を経て豊かさを享受するようになった時代を振り返った。1970年代終わり、冷戦下にあったアメリカとソ連の間の緊張が高まり、世界中に核戦争への危機感が広まった。世界で唯一の被爆国である日本では反核運動が盛り上がりをみせる。

2025年6月30日放送 14:05 - 14:50 NHK総合
列島ニュース(列島リポート)
80年前の沖縄戦でひめゆり学徒隊と名付けられた学生たちは負傷兵の看護などにあたり、その生徒や教師240人のうち136人が亡くなった。その生徒たちを弔うために作られた歌が先月、現役の高校生によって久しぶりに歌われた。首里高等学校合唱部による平和祈念コンサート当日、会場には再現を依頼した同窓生たちも足を運んだ。ひめゆり学徒隊の多くの同級生を亡くした翁長安子さんは[…続きを読む]

2025年6月24日放送 14:50 - 15:00 NHK総合
時論公論(時論公論)
西銘むつみ解説委員が、転機にさしかかる平和教育について解説。糸満市で、沖縄戦の遺族の人々にインタビュー。沖縄県内の高校2年生らに、「あなたが受けた平和教育についてどう思いますか?」とアンケート調査したところ、88.1%が肯定的な回答で過去最高となった。沖縄歴史教育研究会が、学校現場が記憶の継承に大きな役割を担う重要性が増しているとコメントした。沖縄県内では、[…続きを読む]

2025年6月23日放送 21:54 - 23:10 テレビ朝日
報道ステーション(ニュース)
大越キャスターが沖縄県糸満市の平和祈念公園から中継でリポートし、「城間一歩輝さんの平和の詩の朗読の間式典会場は静まり返り、朗読後は拍手が鳴り止まなかった。城間さんの祖母は『なぜ自分だけが生き残ったのか』という思いに苛まれ続けたというが、子や孫たちが自らのつらい経験や平和への思いを引き継いでくれていることで、笑顔になっているのではないかと感じた。私たちは沖縄で[…続きを読む]

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