愛媛県のポツンと一軒家を再訪すると、敷地に紫陽花が綺麗に咲いていた。捜索隊は昭代さんと娘の豊子さんに話を聞いた。父・澄雄さんは90歳で、平日はでサービスにいるが土日は家に帰ってきて散歩をしている。家は築80年で、澄雄さんの父・萬吉さんが建てた。本家は澄雄さんの兄に渡し、次男の澄雄さんと両親が同居した。仕事はみかん農家や炭焼きをしていた。澄雄さんは82歳まで作業をしていた。みかんを切った後に紫陽花を植え始め、挿し木で増やした。昔は農耕牛も飼っていたため元牛小屋の建物も建っていた。小学校の職員をしていた昭代さんは学校の集まりで澄雄さんと18歳で恋愛結婚。豊子さんは3姉妹の長女で、一軒家のまわりは19世帯が住む集落で3年生までは小学校もあった。廃校になったため小学4年生からは寄宿舎生活となった。中学も寄宿舎生活だったが高校は自宅から通った。豊子さんは23歳で結婚し岡山で生活した。娘と息子がいて孫も生まれた。その後離婚し、50歳のときに帰郷。就職が難航し両親とみかん農家の仕事をした。介護施設に就職し、介護福祉士の資格をとった。夜勤がきつくなったため現在はスーパーで働いている。