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「わたしの青春ノート」 のテレビ露出情報

今回はドラえもんの声優として知られる大山のぶ代さん。声優や俳優、エッセイストとしても活躍した。大山さんは昭和8年東京生まれ。幼い頃から個性的な声で、近所では「ドラ声ののぶ代ちゃん」と呼ばれていた。中学生の時には声が原因でいじめられ、コンプレックスから声が出なくなった。そんな時に母からもっと積極的になれなどと助言を受け、放送研究部に入部。個性的な声を生かすことの面白みに気付き、演劇部からスカウトが来て初舞台「シンデレラ」の継母役でデビュー。1954年には俳優座養成所に入所。アルバイトをしながら俳優を目指した。1956年、連続ドラマ「この瞳」で主人公の友人役で俳優デビュー。選り好みすることなく様々な役に挑戦。その後海外ドラマ「名犬ラッシー」で吹き替えにも挑戦。その後おかあさんといっしょのこぶたの三兄弟の長男・ブーの声を演じ特徴的な声から人気となった。やがてアニメ作品の主人公を務めるなど声優としても欠かせない存在に。そして昭和54年、アニメ「ドラえもん」の主人公の声を担当した。心がけていたのは子どもたちのために与えられた台詞を変えてでも乱暴な言葉を使わないことだった。ドラえもんの声を担当している間は他の声の出演は断っていたという大山さん。2005年に声の担当を卒業した。その後も俳優や声優として活動を続けた。大山さんは子ども達に向けて「自分の心をどうやったら相手に伝わるか努力した事がある人は気持ちが相手に伝わる話し方ができる。」などと話していた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年11月30日放送 5:40 - 5:50 NHK総合
NHK映像ファイル あの人に会いたい#594 白籏史朗(山岳写真家)
日本を代表する山岳写真家の白籏史朗さんを紹介。白籏は昭和8年、自然豊かな山梨県大月市で生まれた。富士山が真正面に見える場所で、山が好きな父親に連れられて7歳頃から付近の山野を歩き回っていた。空襲で家を焼かれて高校進学を諦めた白籏さんは10代半ばの3年間を共働きの両親に代わり、家事と6人のきょうだいたちの世話に費やした。写真に興味を持った白籏さんは写真家・岡田[…続きを読む]

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