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「わたしはあきらめない」 のテレビ露出情報

蔵出しセレクション。今回はフジコ・ヘミングさん。去年4月、92歳で亡くなった。今回はまた違ったフジコ・ヘミングさんの一面を紹介。ピアニストとして激動の人生を送ったフジコ・ヘミングさんの貴重な映像。
魂のピアニストと呼ばれたフジコ・ヘミングさん。代名詞となったラ・カンパネラの演奏は多くの人の心を揺さぶった。昭和6年、ベルリンで日本人の母とスウェーデン人の父の間に生まれたフジコさん。その後日本に移り、5歳の頃から母にピアノを教わった。日中戦争が始まると父は1人でスウェーデンに帰国。残された母が夜になると弾いていたショパンがフジコさんの原点となった。8歳のときにNHKのラジオ番組でショパンを演奏し、天才少女と呼ばれた。しかし、16歳で中耳炎をこじらせ右耳の聴力を失ってしまった。それでも東京藝術大学に進み、NHK毎日コンクールで入選。ドイツへの留学を希望したが、戦後の混乱の中で国籍を失っていたことが判明。ようやくドイツに留学できたのは29歳のとき。地元の新聞で高く評価されるが頼れる伝手はなく、貧しい生活が続いた。
活路を見出すためオーストリア・ウィーンへ移住すると、ついにチャンスがめぐってきた。コンサートで訪れていた世界的な指揮者レナード・バーンスタイン氏がフジコさんの演奏を聞いてくれたという。バーンスタイン氏の推薦でウィーンで演奏会をすることになったフジコさん。しかし、再び悲劇に見舞われる。直前に風邪で光熱を出し、両耳の聴力を失ったという。その後。左耳の聴力は一部回復したものの、チャンス二度と訪れず、ピアノ教師として生計を立てるしかなかった。母の死をきっかけに平成7年、日本に戻ったフジコさん。4年後、その壮絶な半生を記録したドキュメンタリー番組が放送された。中でもリストのラ・カンパネラの演奏は大きな反響を呼んだ。放送後、番組に宛てられた電話や手紙は千件以上。67歳で発売した1stアルバム「奇蹟のカンパネラ」はクラシック界では異例の300万枚近くを売り上げた。コンサートのチケットが即完売になるなどフジコブームが巻き起こった。その人気は海外にも広がった。90歳を過ぎても年50回以上演奏会を開き、精力的に活動した。フジコさんは「辛抱したほうが、それを乗り越えて鍛えられていくんじゃないか。みんな演奏に出ている」「完成なんて人間にはありえない。どんな芸術家も。あれでよかったのか天国に行ったらショパンやモーツァルトに聞いてみる」などコメントしている。奇蹟のピアニスト、フジコ・ヘミングさん。魂を込めた旋律で運命を切り開いた92年の生涯だった。NHK映像ファイル あの人に会いたいは土曜日の午前5時40分から放送。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年12月30日放送 6:10 - 6:40 NHK総合
耳をすませば耳をすませば2024
魂のピアニストと呼ばれたフジコ・ヘミングは今年4月に亡くなった。フジコ・ヘミングは一時国籍を失ったり、耳が聞こえなくなるなど厳しい試練に直面。しかし、のちに遅咲きのピアニストとして世界中のファンを魅了した。詩画作家の星野富弘も今年4月に亡くなった。星野富弘は24歳の時、不慮の事故で手足の自由を失った。口に筆をくわえて草花を描き、言葉を添える独自のスタイルを確[…続きを読む]

2024年9月25日放送 16:05 - 17:00 NHK総合
午後LIVE ニュースーン蔵出しセレクション
「NHK映像ファイル あの人に会いたい」から二代目 市川猿翁さんを紹介。かつては三代目猿之助として「スーパー歌舞伎」シリーズで名を馳せ歌舞伎界の革命児と評さてれている。三代目 市川段四郎と高杉早苗の子どもとして生まれると、7歳の時に三代目 市川團子として初舞台を踏んだ。祖父の初代 市川猿翁は舞踊にロシアンバレーの要素を取り入れるとともに「感動した思いを描け」[…続きを読む]

2024年9月14日放送 5:40 - 5:50 NHK総合
NHK映像ファイル あの人に会いたい(NHK映像ファイル あの人に会いたい)
二代目市川猿翁は昭和14年市川段四郎と高杉早苗の長男として生まれた。7歳の時に市川團子の名で初舞台を踏み、大学卒業後の翌年三代目市川猿之助を襲名。同じ年に父親と祖父を亡くした。目指したのは派手な演出で観客を熱狂させた江戸時代の歌舞伎の復活で、宙乗りや早変わりなどにあえて挑戦した。初めて宙乗りに挑戦したのは28歳のとき。百数十年ぶりに復活させた伊達の十役では上[…続きを読む]

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