明治2年、日本の首都が東京にうつると、京都から一気に人が流出。人口がおよそ3分の2に減少した。南禅寺周辺の地図をみると多くの大名屋敷が多く立ち並んでいた地域は、明治初期には畑に。そんな都の危機を救うカギとなったのは、明治24年に造られた日本初の事業用水力用発電所として運転開始。この建設の裏に、知られざるドラマがあった。琵琶湖疏水の計画をたちあげたのは京都府知事の北垣国道。工事監督として抜擢されたのが田邉朔郎。田邉は21歳で工部大学校で土木工学を学び、琵琶湖疏水の計画について論文を書いていた。田邉は、視察のためにアメリカへ。そこで見たのは、日本にはまだなかった水力発電所で、大きな衝撃を受けた。帰国後に北垣に直談判した田邉。当初琵琶湖疏水は水車を設置し、回転する動力で精米などをする予定だった。しかし、田邉の先見の明で、日本発の事業用水力発電所が京都に誕生した。そのパワーを象徴する場所は平安神宮。かつての都を思い立たせる雅な場所。明治28年に日本で最初の路面電車が開業したが車両は現在修復中。平安神宮は明治時代に、京都復活をかけて開催された博覧会の会場として造られた。日本初の路面電車はその開催中に、京都駅から平安神宮へ運ぶために開通した。水力発電は京都に産業を生み出し、人々を呼び戻した。それが伝統文化を蘇らせ、息を吹き替えした。
