1939年、第二次世界大戦が勃発し、日本では娯楽への締め付けが強まった。朝の連続テレビ小説「ブギウギ」でその様子が描かれていて、ステージに引かれた四角い線のなかで歌うことを命じられた。太平洋戦争が始まると、ダンスホールや劇場が閉鎖され、ジャズは敵性音楽として扱われた。戦争で弟の八郎を喪った笠置シズ子は服部良一が作詞、作曲を手掛けた曲「大空の弟」を歌っていた。「ブギウギ」では残された楽譜、歌詞をもとにアレンジされた曲が披露されている。編曲を手掛けたのが服部隆之氏で、服部良一の孫である。譜面を読み解くと、「大空の弟」の後半はアップテンポになっているという。
1945年8月15日、終戦の日を迎える。日本はGHQの占領下に置かれたなか、娯楽文化が復活した。「東京ブギウギ」は戦後まもない日本で大ヒットを記録。ブギウギはアップテンポで弾むような曲調で、8ビートのリズムで構成されている。さらに胸の鼓動を表す言葉がリズムにマッチし、復興の途にある人々に高揚感を与えた。
1945年8月15日、終戦の日を迎える。日本はGHQの占領下に置かれたなか、娯楽文化が復活した。「東京ブギウギ」は戦後まもない日本で大ヒットを記録。ブギウギはアップテンポで弾むような曲調で、8ビートのリズムで構成されている。さらに胸の鼓動を表す言葉がリズムにマッチし、復興の途にある人々に高揚感を与えた。