沖縄に住む比嘉富子さん。87歳になった今も食べることが大好き。今から80年前、沖縄戦を体験。アメリカ軍が撮影した「白い旗を掲げた少女」本人。沖縄戦で幼い子供も戦争に翻弄された事を伝える有名な写真。広島テレビの庭田記者は話を聞きたいと沖縄に向かった。庭田記者は、高校時代からAIや証言をもとに被爆前後の白黒写真のカラー化の取り組みを続けている。1945年4月1日、アメリカ軍が沖縄本島に上陸し地上戦が始まる。県民の約4人に1人が犠牲になった。比嘉さんは兄弟4人で戦場を逃げ続けた。辿り着いた海岸で、3歳上の兄は流れ弾にあたり犠牲に。さらに姉たちともはぐれ一人ぼっちで1ヶ月間逃げ惑った。あるガマに逃げ込んだとき、そこにいたのは手足のないおじいさんと目の見えないおばあさん。2人は見ず知らずの比嘉さんを迎い入れてくれた。比嘉さんは、ガマは静かで自分には遊び場もあって食べ物もあっておじいさんとおばあさんがいて天国みたいないいところだねと思ってずっとそこにいようと思ったという。しかし米軍が出てくるよう呼びかけ、おじいさんとおばあさんに言われるまま白い旗をもって外に出たという。米軍に投降し生き延びた比嘉さん。その後この悲惨な記憶をしまったまま過ごしてきた。約30年後、書店で目にしたのが白い旗を掲げた少女の写真。それを見て感じたのは感謝の気持ちだった。自分を写してくれたカメラマンに感謝を伝えたいと、1988年にアメリカに向かった。アメリカ公文書館で膨大なファイルの中から写真を発見。名前や所属部隊が記録されていることがわかり、カメラマンのヘンドリクソンさんと43年ぶりに再会し直接感謝を伝えた。カラー化した写真を比嘉さんが手に取ると、蘇る80年前の記憶。語ってくれたのは、緊迫感が増す今の世界のこと。「人間同士、相手を思う心、国と国、人と人の意思疎通というのは重要」などと語った。