南太平洋ソロモン諸島のガダルカナル島。太平洋戦争の激戦地として知られ旧日本軍とアメリカなど連合軍との戦いで2万人以上が犠牲になった。ガダルカナル島で伯父を亡くした胡弓演奏家の石田音人さんを取材した。能登半島地震の被災地で行われた石田さんの演奏会。この日の演奏会に使った胡弓には輪島塗のおわんが使われた。楽器の制作家でもある石田さんは、東日本大震災の被災地、陸前高田の松や宮城の雄勝石などゆかりのあるもので楽器を作り現地で演奏。“復興”と“犠牲者を悼み風化させない”という思いを込めて活動を続けてきた。太平洋戦争の激戦地だったガダルカナル島のヤシの実を使った胡弓もある。石田さんの父の兄、大石さんは22歳の時、旧日本軍の歩兵としてガダルカナル島に上陸した。遺骨は見つからず、死亡通知書にはガダルカナル島で戦死したと記されている。父は生前、兄を追悼できなかったことを悔やんでいたという。父に代わって伯父を追悼したいと10年前にガダルカナル島を訪れるも亡くなった場所にたどりつけなかった。その旅でヤシの実を持ち帰り楽器を作った。太平洋戦争の終結から80年、伯父の亡くなった場所で追悼の演奏をしたいと10年ぶりに現地を訪れた。長年、日本人の遺骨収集を手伝っているデーブさんが案内し、開けた川の畔で石田さんが作曲した「祈り」を演奏した。約15万人が暮らすガダルカナル島では戦争の傷あとが多く残されている。今回の旅の終わりには戦没者への追悼と平和への願いを込め、島の人たちと音楽を奏でた。石田さんは「(今回の旅で)明日につながる歌、音楽、楽器、そして83年前の出来事を感じた」などと述べた。
