シファ病院は最大の病院で唯一の総合病院として市民からガザの心臓と命の拠り所にしている病院。600人の入院患者と多くの避難民がいた。しかしガザには避難させたくても燃料不足により移動させることができない。イスラエル軍が迫る中、シファ病院スタッフは患者が安全に避難できるまで病院に残ると決意したという。そのような中でも一般市民の暮らしは慎ましく営まれていた。イスラエル軍による攻撃が始まり避難生活が始まった。まずスタッフ全員で宿舎の地下に避難し数日を過ごした。イスラエル軍の退避通告を受け南部に移動することになった。市民から車に乗せてほしいと懇願されたり途方に暮れる人もいた。避難所は北部からの避難民で溢れ生活環境は悪化していった。南部にも昼夜とわず続き、ガザに安全な場所はない。10月末にガザ地区全体で携帯電話の通信が遮断されたときも危険を感じた。11月1日、外国人はエジプトに退避した。15日、シファ病院が包囲されたであろう時間に安否確認の連絡にNOと返答がきて途絶えた。