2002年に独立を果たしたアジアで最も若い国「東ティモール」。約400年に渡るポルトガルの植民地支配を受けていた。太平洋戦争中には一時的な日本の占領もあり、1975年から20年余りインドネシアに支配され独立まで多くの苦しみがあった。独立後の調査で数千人の女性が性暴力の被害にあったと推定されている。性暴力被害の女性たたちは今。
首都ディリから約120キロ離れた町バウカウ。この町に住むマリア・デ・ファティマさん。兄が独立運動に参加していたことからインドネシア軍の標的にされマリアさんも拷問・暴行を受けるようになった。性暴力は20年にわたり断続的に続き逃げることもできなかったという。この間、マリアさんは4人の子どもを出産。いずれも性暴力を受けた相手との子でそれぞれの父親は誰か分からない。それでもマリアさんは子どもたちを懸命に育てた。周囲から誤解に基づく差別を受ける時もあったが子どもたちには父親は死んだと説明してきた。転機が訪れたのは約10年前。人権団体が制作したドキュメンタリーにマリアさんが出演し自らの経験を語った。被害者女性が実名を公表して実態を語るのは異例。自分の出生の秘密を知った娘は母親が置かれていた状況に衝撃を受けたという。マリアさんは今、自分と同じ性暴力の被害者を支援する団体の活動に参加している。辛い過去と向き合い被害者同士が繋がることで自分自身も少しずつでも前向きに生きていきたいと思うようになった。先月開かれた被害者とその子どもたちの集会、心にしまい込んだ苦しみを共有することで少しでも楽になってもらおうと団体が企画した。マリアさんは集まった人たちに自分たちの過去を語る意義を訴えた。参加者は紙に自分の体を型取り、痛みを感じる部分を青色で示す。同じ痛みを抱える者同士、寄り添い合うように固く手を握った。集会に参加した被害者の子どもたちも繋がり始めた。今も癒えない女性たちの痛み、マリアさんは被害者たちの思いを力に声をあげ続ける。
ディリにある、かつてインドネシア軍により拷問が行なわれた刑務所跡は、日本政府が資金援助を行い博物館として保存されていると紹介された。人権侵害に対し東ティモールとインドネシアはどのように対応してきたのか。2005年に発表された報告書では東ティモールで事件の捜査や裁判を続けるように勧告されているが多くの事件は裁かれることなく放置された。一方、インドネシア政府は報告書そのものについて東ティモール側だけの調査に基づいた一方的なものだとして受け入れることは出来ないとしている。インドネシア側は支配下での一部の事件について特別人権法廷を開いたり謝罪したりしたりケースはあるものの長期間で広範囲にわたる人権侵害に対する公式な謝罪はない。こうした中、インドネシアでは東ティモールの軍事作戦に関わった元軍最高幹部プラボウォ氏が大統領に当選した。東ティモールの独立運動の指導者でもあったタモス・ホルタ大統領もインドネシアとの関係を悪化させたくないとの思いがあるとされそうしたことが政府が責任の追求に正面から取り組まないことにつながっているとみられる。
首都ディリから約120キロ離れた町バウカウ。この町に住むマリア・デ・ファティマさん。兄が独立運動に参加していたことからインドネシア軍の標的にされマリアさんも拷問・暴行を受けるようになった。性暴力は20年にわたり断続的に続き逃げることもできなかったという。この間、マリアさんは4人の子どもを出産。いずれも性暴力を受けた相手との子でそれぞれの父親は誰か分からない。それでもマリアさんは子どもたちを懸命に育てた。周囲から誤解に基づく差別を受ける時もあったが子どもたちには父親は死んだと説明してきた。転機が訪れたのは約10年前。人権団体が制作したドキュメンタリーにマリアさんが出演し自らの経験を語った。被害者女性が実名を公表して実態を語るのは異例。自分の出生の秘密を知った娘は母親が置かれていた状況に衝撃を受けたという。マリアさんは今、自分と同じ性暴力の被害者を支援する団体の活動に参加している。辛い過去と向き合い被害者同士が繋がることで自分自身も少しずつでも前向きに生きていきたいと思うようになった。先月開かれた被害者とその子どもたちの集会、心にしまい込んだ苦しみを共有することで少しでも楽になってもらおうと団体が企画した。マリアさんは集まった人たちに自分たちの過去を語る意義を訴えた。参加者は紙に自分の体を型取り、痛みを感じる部分を青色で示す。同じ痛みを抱える者同士、寄り添い合うように固く手を握った。集会に参加した被害者の子どもたちも繋がり始めた。今も癒えない女性たちの痛み、マリアさんは被害者たちの思いを力に声をあげ続ける。
ディリにある、かつてインドネシア軍により拷問が行なわれた刑務所跡は、日本政府が資金援助を行い博物館として保存されていると紹介された。人権侵害に対し東ティモールとインドネシアはどのように対応してきたのか。2005年に発表された報告書では東ティモールで事件の捜査や裁判を続けるように勧告されているが多くの事件は裁かれることなく放置された。一方、インドネシア政府は報告書そのものについて東ティモール側だけの調査に基づいた一方的なものだとして受け入れることは出来ないとしている。インドネシア側は支配下での一部の事件について特別人権法廷を開いたり謝罪したりしたりケースはあるものの長期間で広範囲にわたる人権侵害に対する公式な謝罪はない。こうした中、インドネシアでは東ティモールの軍事作戦に関わった元軍最高幹部プラボウォ氏が大統領に当選した。東ティモールの独立運動の指導者でもあったタモス・ホルタ大統領もインドネシアとの関係を悪化させたくないとの思いがあるとされそうしたことが政府が責任の追求に正面から取り組まないことにつながっているとみられる。