さらに今年は映画に加えて、「窓ぎわのトットちゃん」の続編が出版された。この2つ目の挑戦にはある思いを込めたという。続編を書こうと思ったきっかけはウクライナ侵攻が始まり、こういう嫌な思いは二度とすうまいと思っていたのに、戦争中の自分の子どもだった時の嫌な感じを思い出して、嫌だって思ってその時の気持ちは書いておいた方がいいと思って書いたという。ロシアによるウクライナ侵攻は来年でまもなく2年となる。ウクライナ政府のウェブサイトによると、侵攻開始以降、513人の子どもが死亡し、ロシアに連れ去られた子どもは2万人に迫っているという。さらに中東でも情勢の不安定化が進む今、幼少期に戦争を体験した徹子さんは改めて戦争の悲惨さを伝える必要性にかられたという。中でも幼少期の徹子さんに影を落としたのが、バイオリニストと知られた父・守綱さんがシベリアに抑留されたこと。安否が分からず父の帰りを待つ心情を徹子さんは本に「新聞にシベリアに抑留されてる日本人捕虜の記事が出ていて、そこには捕虜の中にはN響のコンサートマスターだった黒柳守綱氏もいると書かれていたのだ。パパは生きているんだと大喜びしたけど、あるときにはN響の黒柳が収容所から脱走しようとして撃たれたという噂が聞こえてきたりもした。どんな噂を耳にしてもママは気丈に振る舞っていた。もちろんトットもパパの無事を信じていた。」と綴っている。その後、無事に守綱氏は復員し、徹子さんとともに暮らすことになったという。人一倍平和を強く願う徹子さんが長年注力しているのがユニセフ親善大使としての活動。1984年アジア人として初めて世界で4番目のユニセフ親善大使に就任した徹子さんは世界を飛び回り、これまで延べ39か国を訪問した。1992年に徹子さんが訪問したのは、間伐などで飢餓に苦しむアフリカ。そこで目にした光景ははっきりと覚えているという。ロシアのウクライナ侵攻などについて、黒柳さんは「子どもたちがかわいそうな状況を見ると、みんな嫌だって思ってるだろうに。大人だってね。戦争をどうしてするんだろうなって思う」などと話した。