ピンク・レディーが「ペッパー警部」でデビューした1976年。アントニオ猪木とモハメド・アリの伝説の一戦が行われた。アリ側はおよそ20億円のファイトマネーを要求。アリ側のプロモーターだったボブ・アラム氏は「我々は筋書きを用意していた。しかし日本に行くと筋書きのあるエキシビションだと伝わっておらず真剣勝負することになっていた」と明かした。当時新日本プロレスで営業本部長を務めていた新間寿は「ルールでいろんな問題が起こりいろんな禁止事項が出てきた」と回顧。ほとんどのプロレス技を禁じられた猪木。最終的なルールが発表されないまま試合当日を迎え、その様子は世界37か国に衛星中継され14億人が視聴した。最終15Rまで戦い引き分けで幕を閉じた。当時中継ゲストだった石坂浩二は「歴史に残るたった1回の戦い」と称賛した。