航一さんは、受験勉強の合間をぬって、やりたいことができた。こども食堂だ。育児放棄で子供が餓死したというニュースがきっかけ。たすけたいという気持ちが芽生えたという。料理はやったことがないとのこと。食堂でふるまうカレーを作った。小学生のときの宿題を見せてくれた。「ぼくのせいちょうきろく」。赤ちゃんの頃の写真はなかったので、かわりに兄の写真を貼った。エピソードは想像だった。航一と名付けたのは当時の熊本市長。広い海をわたる船のように力強く生きていくように名付けられたと美光さんは考えた。子供食堂初日。子供とつながり相談相手になりたいと航一さんは思っている。経済的な理由で三食がおろそかになっている子供もいた。田尻由貴子さんは、慈恵病院の元看護部長。こうのとりのゆりかご開設に携わった。