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「ガダルカナル島」 のテレビ露出情報

名古屋市で胡弓の演奏家として活動する石田音人さんは、太平洋戦争で亡くなった伯父の足跡を辿ってガダルカナル島を訪れた。ガダルカナル島の戦いは連合国軍に占領された飛行場の奪還を図ろうと1942年8月から起こった戦いで、旧日本軍兵士2万人余が亡くなった。伯父の大石與一さんは22歳の時に歩兵隊としてこの島に送り込まれた。遺骨は見つかっておらず、死亡通知書には1942年11月に腹部を撃たれて死亡したと書かれている。石田さんは父が幼い頃、兄によく面倒を見てもらっていた思い出を繰り返し聞かされてきた。その父が生前、兄を追悼出来なかったことを悔やんでいたという。石田さんは父の代わりに伯父を追悼したいという思いを強めていった。10年前にも現地を訪れたが、亡くなった場所には辿り着けなかった。
今回が最後という思いで訪れた石田さん。出会ったのは長年現地で日本人の遺骨収集の活動を行ってきたデーブさん。デーブさんは、かつて伯父が歩いたと思われる道を案内した。石田さんは伯父が亡くなったと思われる場所で胡弓を演奏した。戦争の爪痕が今も多く残されているガダルカナル島では、住民達から不発弾による被害が後を絶たない現状を聞いた。悲惨な戦争を繰り返したくないという思いを現地の人たちを共有した石田さん。平和への思いを込めて一緒に音楽を奏でた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年7月5日放送 7:00 - 7:30 NHK総合
NHKニュース おはよう日本(ニュース)
名古屋市で胡弓の演奏家として活動する石田音人さんは、太平洋戦争で亡くなった伯父の足跡を辿ってガダルカナル島を訪れた。ガダルカナル島の戦いは連合国軍に占領された飛行場の奪還を図ろうと1942年8月から起こった戦いで、旧日本軍兵士2万人余が亡くなった。伯父の大石與一さんは22歳の時に歩兵隊としてこの島に送り込まれた。遺骨は見つかっておらず、死亡通知書には1942[…続きを読む]

2025年3月1日放送 16:45 - 17:58 NHK総合
カラーでよみがえる映像の世紀(映像の世紀)
太平洋では日本とアメリカの間で死闘が続いていた。1942年8月にアメリカ軍はガダルカナル島に上陸。翌年2月まで続いたこの戦いで日本は敗北し、これを境に日本軍は敗退を続けることになる。大本営の発表は日本の敗戦をひた隠しにした。このニュース映画で同時に上映されたのが学徒出陣の様子だった。1943年アメリカ軍はヨーロッパでも本格的な攻撃を開始した。アメリカを中心と[…続きを読む]

2024年8月14日放送 3:23 - 3:28 NHK総合
Nスペ5min.(Nスペ5min.)
ガダルカナル島の戦いでアメリカ軍は1万を超える大部隊を島に送り込んでいた。兵力がアメリカ軍の半分であった日本軍は夜間奇襲攻撃を仕掛けた。アメリカ軍は銃剣で突撃を仕掛けてくる日本兵にマシンガンで応戦した。日本軍は多くの戦死者を出しジャングルに退却した。再び突撃を試みるがアメリカ軍は島の至る所に集音マイクを設置し日本軍の動きを掴んでいた。このあと日本軍は敗北を重[…続きを読む]

2024年8月13日放送 21:54 - 23:10 テレビ朝日
報道ステーション(ニュース)
サッカーの強豪、静岡県立藤枝東高校にかつて世界を沸かせたオリンピアン、松永行さんがいた。日本サッカー史に伝説を残したエースストライカーだった。1936年ベルリン五輪で日本は優勝候補スウェーデン相手に2点リードの後半に驚異の粘りで追いつき試合修終了間際の大逆転の勝利は「ベルリンの奇跡」と呼ばれ、決勝ゴールを決めた松永さんは手応えを感じていた。1941年12月日[…続きを読む]

2024年8月11日放送 12:00 - 12:54 テレビ東京
池上彰の戦争を考えるSP(池上彰の戦争を考えるSP)
防衛省の中にある戦争遺跡が大本営地下壕。地下15メートルまで掘り下げ鉄筋コンクリートで作られていた。南北に52メートルの壕が3本南西に48メートルの壕が2本交差している。炊事場や大臣室や浴場を備えていておよそ200人が生活できる空間であった。大本営はミッドウェー海戦でアメリカの空母を2隻撃沈、日本は空母1隻を喪失・1隻を大破としていたが実際はアメリカの空母を[…続きを読む]

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