街を作ったのはスペインからやってきた人々。現在家を所有するアブデラジスさんの家は19世紀に建てられたアラブ風となっている。モロッコではフランス語やアラビア語が多いがテトゥアンでは植民地支配の影響でスペイン語を話す人の方が多い。スペインの「アルハンブラ宮殿」がありその隣にある「ヘネラリーフェ離宮」には噴水があり楽園の象徴となっていた。宮殿近くのアルバイシン地区では日差しを避けるため広い壁の建物が建てられておりテトゥアン旧市街の町並みと似ている。1000年頃イスラム勢力の領域に入っており、その後キリスト教勢力の拡大でアンダルシア地方を最後に滅んでしまいモロッコへ逃れテトゥアンを見つけ、白壁の建物を建てた。
テトゥアン旧市街の中にはイスラム教に取って大切な施設もある。18世紀頃に建てられた神学校の中には楽園の象徴となる噴水が設置されている他オレンジの木が植えられていた。スークと呼ばれる専門店エリアも出来、テトゥアンは革製品や陶器によって繁栄していった。2つの文化が融合した独特な城塞都市というのが世界遺産登録理由となっている。
テトゥアン旧市街の中にはイスラム教に取って大切な施設もある。18世紀頃に建てられた神学校の中には楽園の象徴となる噴水が設置されている他オレンジの木が植えられていた。スークと呼ばれる専門店エリアも出来、テトゥアンは革製品や陶器によって繁栄していった。2つの文化が融合した独特な城塞都市というのが世界遺産登録理由となっている。