東ヨーロッパ・バルト三国のラトビア。1941年6月14日、ラトビアに侵攻していた旧ソ連軍が住民を強制連行した。この1日だけで約1万5000人を連行され、そのうち6000人余が収容先で死亡した。当時4歳だったペテリスさんも父親が軍人だったことから反抗勢力とみなされ家族とともに父親とは別の収容施設へ連行された。6年後ラトビアに戻ることができたが、この期間に父親を含め家族4人が亡くなった。遺体が戻ることはなく、ペテリスさんはその後自宅の庭に家族の名前を記した木々を植えた。専門家は歴史は繰り返されていると指摘する。2022年に始まったウクライナ侵攻では少なくとも280万人以上がロシアに強制連行されたとみられている。イェフヘンさん一家も子どもたちが一時モスクワに強制連行された。今月ラトビアでは歴史を語り継ぐ集会が開かれた。ロシアと国境を接するラトビアはウクライナ侵攻以降、ロシアの軍事用無人機が領内に侵入する事態も起きており緊張感が高まっている。