沖縄市コザは民謡だけではなくロックやヒップホップなども盛んだった。コザの夜を二階堂ふみが訪ねた。夜、嘉手納基地のゲート前にある通りは米国兵など基地関係の若者たちで賑わう。宮永英一さんは戦後のコザに生まれ15歳からライブハウスで演奏を続けてきた。かつては伝説のロックバンド「紫 MURASAKI」のメンバーとして活躍。全国にその名を知られた。73歳の今も毎週末ステージに立っている。演奏を始めた60年代後半、コザはベトナム戦争に向かう兵士たちで賑わった。宮永さんは生活のために米国兵相手のライブハウスに立ち続ける。その頃、街で起こったのがコザ暴動と呼ばれる事件。米軍の関係者が住民を車ではねたことをきっかけに沖縄の人たちの怒りが噴き出した。しかし宮永さんには複雑な思いもあった。店に来ていた米国兵の多くは明日、戦場に送られるかもしれない人達。貧しい家庭出身の人も少なくなかった。ベトナムに発つ前、彼らが宮永さんにリクエストしたのは反戦を歌う曲だった。