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「コシアブラ」 のテレビ露出情報

限界集落に実際に住んでみて、そこにどんな暮らしがあるのかを探る番組。今回は佐野風真
ディレクター(28歳、ディレクター歴5年)が福島県いわきの限界集落・上桶売集落に住んでみる。上桶売集落には74世帯165人が住んでいて、65歳以上が103人。佐野Dはみなさんと食事をした。
朝6時。住職が鐘をつく。朝8時、駒木根さん一家は苗代づくりをしていた。作業を指導するのは85歳のスミ子さん。昼12時、スミ子さんはおひるになっても作業を続けていた。
お寺の裏山でスミ子さんの長男と真一さんと遭遇。山に祀っている塚のお祭りの準備をしていた。若手2人が1年交代で仕切っている。塚ではご祈祷が行われた。
佐野Dはお寺をつかせてもらった。青木副住職は木魚のタタキ方も教わった。朝10時、散歩をしていると、宇佐美さんと出会った。宇佐見さんは9年前に息子さんを亡くしている。家には息子さんがツバメの巣作りのために作った板が残っていた。
第3週。佐野Dを訪ねてきたのは、佐久間さん。自慢の山をみせてくれるという。7代に渡りこの土地で生活をし、荒れ果てた山を手入れし、桜などが咲き誇る。佐久間さんには跡を受け継ぐ人がいない。そのため、長年手入れしてきた山の映像を残している。
朝10時、宇佐見さんを訪ねた。宇佐見さんは草むしり中。光正さんと通っていた畑で、思い出を語った。光正さんは草むしりが得意だったという。
午後2時。駒木根さんのもとを尋ねると苗代から芽が出ていた。畑は山上にあり、スミ子さんも足を運んだ。この地域では葉たばこ栽培が盛んだった。スミ子さんは3年前に倒れ意識不明になったことがある。それでも真一さんは畑に出ることを辞めなかったという。
最終週。集落に住む矢内さんが99歳でなくなった。枕経は身内だけで行われるが、この地域ではご近所も集まることがならわしである。5日後、納骨。死者に備えた枕団子を参列者が食べる風習がある。矢内さんのハウスで、遺族が忙しいからと、スミ子さんは苗代の手入れをしていた。
マサ子さんの家ではトラクターの確認が行われていた。農機具はいらなくなったので確認していたという。忠光さんは80年続けた農業を6年前にやめた。
最終日はドローンで撮影した集落をみなさんにみてもらった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年4月30日放送 5:20 - 8:00 TBS
THE TIME,旬を届ける全国列島中継
広島・北広島町からの中継。2週間限定で採取できる幻の新芽「バカの芽」を紹介する。正式名称は「コシアブラの新芽」で取っても取ってもすぐ映えることから「バカの芽」と現地では呼ばれている。流通量も少なく、現地の人ばかりでしか知られていない。天ぷらではほのかな苦味が癖になる味とのこと。

2024年4月12日放送 16:05 - 17:00 NHK総合
午後LIVE ニュースーン(エンディング)
視聴者から番組に対して寄せられたメッセージを紹介した。山形の視聴者から中谷さんへ「覚えていますよ、90歳の母が喜んでいます」といったメッセージ。中谷さんは「山形は山菜最高ですよ。コシアブラが本当に美味しい。山形へ行って知りました」などと話した。献血を呼びかけたりするボランティア団体を運営しているという視聴者からは「小山田優生さんのように協力することを続けて社[…続きを読む]

2023年12月11日放送 4:00 - 4:15 NHK総合
さわやか自然百景(さわやか自然百景)
大山の標高は1729mで中国地方の最高峰。火山で1万数千年前まで活発な噴火活動を繰り返してきた。溶岩がせり上がってできた山頂付近はもろい地質のため雨や雪による侵食が進み荒々しい岩場が続く。標高800mから1300mほどの山腹は深い森に覆われている。10月、ブナの葉は日に日に黄色から褐色へ変わっていく。森は紅葉とともに実りの季節を迎えた。アトリ、ヤマガラ、ゴジ[…続きを読む]

2023年11月30日放送 15:10 - 15:39 NHK総合
にっぽん百名山(にっぽん百名山)
ハウチワカエデやコシアブラの紅葉を楽しみながら会津朝日岳をさらに登ると、ウダイカンバの木が生えていた。樹皮が燃えやすく山仕事の人たちが焚き付けに使っていた。展望が開けると、ヤマウルシ、ミヤマナラの紅葉が見られた。1430mの叶ノ高手に到着すると針葉樹のゴヨウマツが生えていた。環境が厳しかったため針葉樹が残りやすかったという。大クロベは樹高18m、幹周りは3.[…続きを読む]

2023年11月24日放送 8:15 - 9:55 NHK総合
あさイチみんな!グリーンだよ
今月13日まで京都で池坊最大の生花展「旧七夕会池坊全国華道展」が開かれていて世界中から熟練の先生らが集まり900品の花が展示されたということ。江戸時代前期の後水尾天皇が生花に傾倒し花展を開き先祖の池坊専好が行ったゆかりがあり許しを得て現在まで繋がっているということ。花洛細見図では七夕に手向ける花が生けられ多くの人が訪れる京都の年中行事だったことが記されている[…続きを読む]

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