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「コソボ解放軍」 のテレビ露出情報

コソボで起きた民族紛争。アルバニア人にコソボを追われたアルバニア人、100万人が難民に。番組が取材したラマダンさんは18歳。難民キャンプでテントを作るなど支援活動を行っている。
コソボの州都プリシュティナ。中心街近くにある「ハイダルドゥシィ通り」。紛争を経て、セルビア人の名前からアルバニア人の英雄の名前に変えられた。18歳のラマダンさんの故郷はプリシュティナから30km離れたところ。家は紛争で廃墟に。ラマダンさんはアルバニア人への憎しみを抑えきれない時があるという。
コソボの州都プリシュティナ。ハイダルドゥシィ通りは紛争で争ったセルビア人とアルバニア人が共生する街。セルビア人のボジョビッチ夫妻。外出時、アルバニア人からの攻撃を恐れてセルビア語は話さない。プリシュティナに2万人いたセルビア人は次々と逃げ出し、現在は2000人に。セルビア人向けラジオ局に勤めているスロボダンカさん。紛争中、海外からの報道でセルビア兵が虐殺を行っていることを知った。紛争後はコソボに戻ったが、近くに住むアルバニア人からの攻撃を恐れ外出もできない状況に。
紛争後、コソボで影響力を持っていたのはアルバニア系軍事組織「コソボ解放軍」。アルバニア人のラマダンさんは元兵士。戦場での体験について、番組の取材に口を閉ざし続けた。兄のように慕っていた2人のいとこは紛争中に虐殺された。その墓を訪れた時、偶然聞こえてきたコーランにラマダンさんは動揺。
コソボ紛争を戦ったアルバニア人のラマダンさん。訓練はわずか2週間。戦場は故郷の山。「誰かを殺したかも知れない」「あの状況なら誰だって銃を撃ち続けると思う」と当時を振り返る。いとこ2人はセルビア兵により虐殺された。2人は銃で脅され、民家の地下室に閉じ込められたという。このとき、ラマダンさんはセルビア人を全て殺すしかないと決意。虐殺現場付近で見つかったフイルム。現像したところ、映っていたのは同年代の若いセルビア兵。心を病み戦線から離れ、現在は難民キャンプで支援活動を行っている。
コソボの州都プリシュティナ。ハイダルドゥシィ通りは紛争で争ったセルビア人とアルバニア人が共生する街。アルバニア人のラマダンさんが暮らすアパート、上階に住むのはセルビア人のブラーナさん。アルバニア人の襲撃を恐れ、玄関に国際部隊の旗を掲げている。紛争が終わった現在でも毎日のようにアルバニア人が脅しにやってくるという。
コソボの州都プリシュティナ。ハイダルドゥシィ通りは紛争で争ったセルビア人とアルバニア人が共生する街。アパートの地下に住むハティジェさんはアルバニア人。2階に住むのはセルビア人のブラーナさん。10年間親しくしてきたが、紛争が激化するにつれ関係が破綻。ブラーナさんの息子は電話交換手でアルバニア語にも堪能だったが徴兵され、避難していたハティジェさんたちをアルバニア語で脅し、一緒に避難していたブラーナさんもこれを制止しなかった。ブラーナさんはこの話を否定している。
コソボの州都プリシュティナ。ハイダルドゥシィ通りは紛争で争ったセルビア人とアルバニア人が共生する街。アパートの2階に住むのはセルビア人のブラーナさん。紛争後、息子に戦争犯罪の疑いがあることを初めて知る。自宅から銃や覆面などが押収された。ブラーナさんは「息子は血で汚れてなんかいない」と主張する一方、「息子が軍にいた時にしたことを問題にしても仕方がない」「従わなければ殺されてしまう」とも話す。
コソボの州都プリシュティナ。ハイダルドゥシィ通りは紛争で争ったセルビア人とアルバニア人が共生する街。この通りでセルビア人がアルバニア人に虐殺されたという知らせが伝わる。殺されたのはセルビア人のスロボダンカさんの元夫。息子を父親の葬儀に行かせなかったのは、「息子には隣人に銃を向ける人間になってほしくない」との思いから。このあと、2人はコソボを去った。コソボ紛争を戦ったアルバニア人のラマダンさん。「再び民族紛争が起きたら任務をまっとうする」とし、セルビア人への憎しみの気持ちが今も消えていないことを明かした。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月29日放送 22:30 - 23:30 NHK総合
時をかけるテレビ隣人たちの戦争 コソボ・ハイダルドゥシィ通りの人々
コソボで起きた民族紛争。アルバニア人にコソボを追われたアルバニア人、100万人が難民に。番組が取材したラマダンさんは18歳。難民キャンプでテントを作るなど支援活動を行っている。
コソボの州都プリシュティナ。中心街近くにある「ハイダルドゥシィ通り」。紛争を経て、セルビア人の名前からアルバニア人の英雄の名前に変えられた。18歳のラマダンさんの故郷はプリシュティ[…続きを読む]

2025年8月29日放送 16:05 - 17:00 NHK総合
午後LIVE ニュースーン(ニュース)
コソボ紛争 25年間の記録。アルバニア系住民の青年ラマダンさんについて取材してきた右田氏は「コソボ紛争で難民が80万人出たというニュースで緊急報道の形で難民キャンプに入ったのがラマダンさんとの出会い。難民キャンプの状況は過酷で悲しみに溢れていた、衛生状態も大変だった。そうした中でラマダンさん一家は配給でもらったコーヒーやチョコレートなどを私達に惜しみなく与え[…続きを読む]

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