彼岸の金メダルを獲得した車いすラグビー。2000年のシドニー大会から正式種目となった。日本代表は徐々に力をつけてきて、リオ・東京大会では銅メダル、今回始めて決勝に進出し金メダルを獲得。車輪が外れるほど激しいタックルがあり、かつてはマーダーボール(殺人球技)とも呼ばれていた。車いすバスケットボールを発展させたスポーツとして、1977年にカナダで考案された。車いすバスケは両手が動かせる選手が参加するが、車いすラグビーは上半身の運動機能に障害がある人も参加可能で男女混合。ボールを持った人がトライラインを超えると点数が入る。1人の選手が10秒以上ボールを持つことはできず、パスやドリブルをしないといけない。障害が軽い選手が攻撃を担う一方、背中や手首など上半身に障害がある選手は守備を担う。車いすにも攻撃型・守備型がある。各選手は、障害の最も重い人が0.5、最も軽い人が3.5と程度に応じて7段階に分かれていて、コートに出る4人の合計を8点以内に収めないといけない。キャプテンの池透暢選手は、19歳の時の交通事故で友人3人を亡くし、自身も全身の75%にやけどを負って左足を切断。表彰式で天に向ってメダルを掲げたことについて「友人のために生きた明石を残したいと思って生きてきた」と語っている。