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「シベリア抑留」 のテレビ露出情報

コブクロが歌うのは4月13日から開催される大阪関西万博の公式テーマソング「この地球の続きを」。1970年、大阪で開催された日本万博博覧会。「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、入場者数は約6400万人を記録し大盛況だった。テーマ曲「世界の国からこんにちは」を歌ったのは三波春夫さん。三山ひろしさんは三波春夫さんの曲をカバーするなど特別な思いを持っている。現在三山さんは三波さんが創作した「長編歌謡浪曲」を学ぶため、三波さんの長女美夕紀さんから指導を受け13年になる。三波春夫、本名北詰文司さんは16歳で浪曲師として初舞台を踏む。戦時中、陸軍に入隊し満州に赴任。声が良く通るため伝令兵を務めた。戦争末期の1945年8月9日未明、ソ連が満州に攻め込んだ。三波さんは22歳だった。戦闘開始から3日目、撤退命令が出された。その間、多くの戦友が亡くなった。その後ソ連の捕虜となりシベリア収容所に抑留され劣悪な環境のもと強制労働に従事させられた。シベリアに抑留された日本人は約57万5000人。そのうち約5万5000人が亡くなった。シベリア抑留を体験した西倉勝さんは99歳になった今も語り部の活動を行っている。食事は黒パンと脱穀で仕事の達成率が低いと量が減らされた。飢えや寒さで亡くなった人は白樺のそばに埋葬。4年間のシベリア抑留を経て帰国を果たした三波さん。戦後50年以上が経ちシベリアを再訪。抑留当時内装工事の作業をした音楽堂へ。三波さんの美声にロシア人からも歌のリクエストが相次いだという。三波春夫さんの長女・美夕紀さんは抑留中の過酷な状況の中、父親は歌を歌い仲間を励ましていたと聞いたという。「世界の国からこんにちは」と作詞したのは詩人・島田陽子さん。11歳の時大阪で空襲に遭い焼夷弾に追われながら逃げ延びた。友人で詩人の江口節さんは島田さんから聞いた話として「1970年に」でなく「1970年の」と書いたところに思いを込めたと語る。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年7月7日放送 15:45 - 19:00 フジテレビ
イット!戦後80年 いま、平和ですか
歴代の天皇皇后として初めてモンゴルを訪問されている天皇皇后両陛下。モンゴル到着から一夜明けた7日、天皇陛下はウランバートル市内にあるチンギスハン国立博物館を訪問。博物館はチンギスハンの偉業を紹介したもので、陛下はモンゴル帝国時代の宮殿の模型や鎧などをご覧になった。陛下がモンゴルを訪問されたのは皇太子時代の2007年に続いて2回目。モンゴルには、終戦後旧ソ連の[…続きを読む]

2025年5月22日放送 10:25 - 13:55 TBS
ひるおびJNN NEWS
札幌の神馬文男さん(99)。約60万人の日本人が強制連行されマイナス30℃を下回る寒さや食糧不足の中での強制労働で5万5000人が死亡したシベリア抑留の生存者。海軍の偵察兵だった19歳の時、旧ソビエトに近い羅津基地で終戦を迎え、シベリアに連行され、森林伐採など過酷な労働を強いられた。戦後80年シベリア抑留を経験した人たちの平均年齢は100歳とも言われている。[…続きを読む]

2025年2月13日放送 3:45 - 4:30 TBS
TBS NEWS(ニュース)
12日午後1時ごろ悠仁さまは、京都・舞鶴市にある「舞鶴引揚記念館」を訪れ、地元の高校生などからシベリア抑留の苦難などを学ばれていた。悠仁さまは高校生の説明に熱心に耳を傾けて質問を重ねられていた。その後悠仁さまは帰国した人々が第一歩を踏みしめた桟橋の復元の上を歩かれた。

2025年2月12日放送 15:49 - 18:30 TBS
Nスタ(ニュース)
きょう午後1時ごろ悠仁さまは、京都・舞鶴市にある「舞鶴引揚記念館」を訪れ、地元の高校生などからシベリア抑留の苦難などを学ばれていた。悠仁さまは高校生の説明に熱心に耳を傾けて質問を重ねられていた。その後悠仁さまは帰国した人々が第一歩を踏みしめた桟橋の復元の上を歩かれた。

2024年12月23日放送 18:10 - 19:00 NHK総合
首都圏ネットワーク(ニュース)
終戦直後にシベリアなどに抑留された人たちに関連した資料の特別展が東京・千代田区で開かれている。このうち俘虜用郵便葉書は抑留者が家族と連絡を取ることができた唯一の手段だった。抑留された男性から家族に送られたはがきには私は日本にかえりますと書かれ帰国への強い意志が読み取れる。この特別展は26日まで開かれている。

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