スプリトは皇帝ディオクレティアヌスが隠居するまでは小さな漁村だった。退位したディオクレティアヌスのために宮殿が築かれ、現在は世界遺産に登録されている。7世紀にサロナにスラブ人が侵入すると、大勢の人がスプリトの宮殿に逃げ込んで住み着き、やがて宮殿は街になった。ローマ時代の建造物の多くが壊され、中世の建物が林立するようになる。ディオクレティアヌスはキリスト九王を激しく弾圧したが、死から2年後にローマ帝国はキリスト教を公認し、西暦392年にキリスト教はローマ帝国の国教となった。
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