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「セルビア」 のテレビ露出情報

ノープランでヒッチハイク旅を行うポール・ハルベルトさんに密着。用賀から山中湖を目指しヒッチハイクを開始。車を運転する中国人は降りるICを間違え、御殿場ICをスルーしてしまった。そのため新富士駅まで送ってくれた。山中湖まで遠くなってしまったがヒッチハイクを続け本栖湖に到着した。スタッフがポールさんに旅人になった理由を尋ねると子どもの頃、お爺さんと行ったボート旅行が人生観を変えた事を話した。ポールさんは親に言われるまま大学へ行ったが社会の枠にハマりたくないと大学は中退、セルビアで移動民族と出逢い生き方に感銘を受け旅を続けようと思ったという。ポールさんは友達の知り合いの農園に泊めてもらうため広島県までヒッチハイク旅を行った。午前中のうちに45kmを移動したが炎天下の中、なかなか車が停まってくれなかった。広島県までヒッチハイク旅を行うポールさんは途中具合が悪くなり、ガソリンスタンドの陰で休憩。するとガソリンスタンドの従業員が即席ベッドを用意してくれた。手厚いおもてなしを受けた後、ヒッチハイクを再開。順調に車を乗り継ぐがポールさんは熱を出してしまい緊急搬送された。
熱を出してしまったポールさんは名古屋の救急病院に搬送された。診断の結果、急性胃腸炎で39度の高熱を出していた事が判明した。体調が良くなるまで撮影は一時中断する事になった。復活したポールさんの元に病院に送ってくれた夫婦が現れた。夫婦はポールさんの事が心配で送りに来てくれた。尾張一宮PAで降ろしてくれた夫婦はポールさんに旅の安全を祈ってお守りをプレゼントしてくれた。その後、順調にヒッチハイクを繰り返し広島県に到着。農園の主人が迎えに来てくれた。梶谷農園は農業を手伝い代わりに「食事と寝床」を無料提供し多くの外国人を受け入れている。ポールさんは2日間、宿泊し農作業をお手伝い。ジュンサイの収穫を行い農園で採れた野菜のサラダとマッシュポテトを堪能。ポールさんは残り2日間を使ってヒッチハイクで東京を目指した。四国を経由し920kmの道のりを辿り愛媛・来島海峡の景色を望み順調にヒッチハイクを繰り返した。ポールはいつまで旅を続けるんですか?という質問に対してポールさんは「まだ分からないよ。やめたいと思った時にやめるんじゃないかな?」と答えた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年8月31日放送 5:40 - 5:50 NHK総合
NHK映像ファイル あの人に会いたい(NHK映像ファイル あの人に会いたい)
服飾評論家の市田ひろみさんは、着物着付け師として初めて現代の名工に選ばれた。俳優としてテレビドラマやCMでも活躍した。世界各国を訪れ、多くの民族衣装を収集・研究したことでも知られている。市田さんは昭和7年大阪生まれ。父親の仕事の都合で小学校時代を中国・上海で過ごしたが、戦況が悪化し帰国した。その後、母親は京都で美容室を始めた。市田さんも美容師の資格を取得した[…続きを読む]

2024年8月29日放送 22:30 - 23:15 NHK総合
NHK MUSIC SPECIALNHK MUSIC SPECIAL 玉置浩二 愛と平和のハーモニー
バルカン室内管弦楽団は指揮者・柳澤寿男が立ち上げた楽団。コソボ、セルビアなどかつて紛争で対立していた地域から楽団員を集め、音楽による交流を進めてきた。敵対していた民族が集まり演奏するバルカン室内管弦楽団は玉置浩二とともに愛と平和のハーモニーを奏でる。

2024年8月26日放送 1:25 - 1:40 テレビ朝日
バスケ☆FIVE〜日本バスケ応援宣言〜(バスケ☆FIVE〜日本バスケ応援宣言〜)
ゲストは渡邊雄太。パリ五輪での試合前、川真田選手の荷物が届かない事態に。そこで川真田は「俺のカバンなんて大したもの入ってない」「俺ので良かった~」など話していたんだそう。ここで盛り上がったことで、チームが団結するきっかけに。別の日、ある選手がシューズを忘れた時にも「俺が忘れたことにしよう」「俺は練習しなくてもいい」と元気づけていたんだそう。

2024年8月18日放送 13:50 - 14:50 NHK総合
BS1スペシャル運び屋の“ゲーム” バルカンルート 難民たちの逃避行
EUの中で最も多くの移民や難民を受け入れてきたドイツ。アーマド・ワリさん夫婦は8年前に運び屋の手を借りてアフガニスタンから逃れてきた。祖国では政治家の秘書を務めていた。アーマドさんは今、弟のために運び屋を探していた。アーマドさんの家族は祖国・アフガニスタンで命を狙われているという。父は前政権の政治家だったため、タリバンから前政権のスパイだと疑われている。1番[…続きを読む]

2024年8月9日放送 16:48 - 18:50 テレビ朝日
スーパーJチャンネルPARIS 2024
パリオリンピック。137連勝で決めた金メダル。レスリング女子・藤波朱理の強さの原点は“悔しさ”にあった。父の指導で4歳からレスリングを始めた藤波朱理選手は中学時代から全国大会で優勝し、頭角を現した。父親が監督を務める高校に進学し、インターハイなどで優勝を重ねた。高校卒業後はレスリングの名門「日本体育大学」に進学。父・俊一さんも高校の教員を辞め、日体大のコーチ[…続きを読む]

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