村上は今日の総括に1980年、実家の町工場では「だっこちゃん人形」を作っていた。ブームが去ると在庫が大量に余り、借金だけが残った。6歳のとき「ブームは必ず去る」と。大学では建築を学び、店舗専門の建築を創業。持ち帰り弁当店「かまどや」の業務を拡大。数年で「かまどや」は終わった。「本当に行きたい居酒屋をつくろう」有効求人倍率が0.6倍と低かった長崎県の出店。「田舎戦略」の誕生。人手不足は全国の広がるが、「や台ずし」は拡大。500店舗達成可能ときいたら、吉岡さん、大丈夫と、悠々と。超合理主義の答だった。とした。