- 出演者
- 村上龍 小池栄子
オープニング映像。
新規オープンしたばかりなのに行列が出来る居酒屋チェーンの店は、開店直後の午後4時に向かうと、速くもにぎわっている。この店の売りはお寿司で今流行りの寿司居酒屋という形態。寿司職人が目の前で握ってくれ、その値段は1貫たまごやかにサラダの軍艦などは65円。まぐろやはまちは1貫175円。さらに9貫乗った値段は1099円。本格的な寿司は手頃な値段で食べられるのが人気。寿司だけでなく、名古屋名物の鳥の手羽先を始め居酒屋の定番メニューも抱負に。食べて飲んで客単価は3000円。さらに店内にはあちこちに子供の姿が。子どもたちが集まる理由はおもちゃ。親にゆっくり楽しんでもらうためだという。会社の指針書にも書いてあるとおり幅広い客層をつかみ、今や320店舗に急増しているや台ずし。や台ずしを運営しているのは名古屋にあるヨシックスホールディングス。いくつかの事業会社を持っていて、その中の一つにヨシオカ建装という建築会社があるがや台ずしはこの企業が始めた。オープンまで一ヶ月を切った店は、図面をみせてもらうとそこにはヨシオカ建装の名前が。店を自前で作れるので外注するより速く大幅にコストダウンできる。自分たちで店を運営しているので客やスタッフが使いやすい店作りができるという。
ヨシックスの本社は、や台ずしを運営するヨシックスフーズのすぐ隣りにあるのはヨシオカ建装で、社員同士その店の内装をどうするかを話し合った。ヨシオカ建装は店からの急な依頼にも対応し、店の内装をより良い環境にすぐ変更できる。作るのは自前の店だけではない。東京駅のグランスタにあるうなぎ四代目菊川はヨシオカ建装がつとめた。他にも焼肉ライクや、バーガーキングなどの一部の店舗を務めている。この二刀流で今や売上げ高は200億円越え。コロナ移行の外食離れ離れや人手不足が叫ばれる中で急成長している。その裏には独自の戦略が。東京の郊外にある日野駅の近くにあるや台ずしがあるがや台ずしはどこも白木で統一され、全ての店にカウンターがある。まるで店が古くからある老舗店のような雰囲気で常連客を獲得している。地域住民の馴染の店になることが老舗理論。さらに、東京には40のや台ずしがあるが、都市部には神田しかない。他は郊外の住宅地の広がる駅の地下区に出店。ヨシックスはこれを田舎戦略とよんでいる。駅から徒歩2分と立地はいいが、周囲に大手居酒屋チェーンがない。この戦略は乗降客数6000人から1万人の中規模駅に出店すること。大手は出店しない上大きな駅前より賃料が安い。また田舎戦略にもう一つの狙いは店舗スタッフの確保。埼玉県にある新狭山駅北口町店のアルバイトは姉妹。二人は家から近いとの理由でこの店で働いているという。ふたりとも学生で、郊外出店のメリットは学生アルバイトが確保しやすく長時間働いていくれるというメリットがある。
- キーワード
- うなぎ四代目菊川東京駅黒塀横丁店や台ずしグランスタ東京バーガーキングヨシオカ建装ヨシックスホールディングス名古屋市(愛知)埼玉県寿司居酒屋 や台ずし 井荻駅前町店寿司居酒屋 や台ずし 新狭山駅北口町寿司居酒屋 や台ずし 沼津駅北口町店日野市(東京)日野駅東京駅焼肉ライク静岡県
名古屋市の新店舗にやってきたのはヨシックスホールディングスの吉岡昌成。吉岡はユニークなまちづくりのテーマにケチを付けることのできる店作り。板に節穴が空いているものや、100円皿を使用しお客にケチをるけてもらえるようにあえてそうしており、その気軽さが大事だと語る。建築という異業種からの参入で飲食業界の常識を覆してきた。
ヨシックスホールディングスの吉岡はや台ずしは寿司居酒屋の走りという話に2000年に寿司居酒屋ができたが、その時は他になく自分たちが初めてだと思うと答えた。またその当時はダイニング調の店が流行しいろいろな店を実験したというが、数ヶ月で赤字になってしまったという。その中で自分が行きたい店を作ろうと考えた所気軽で入れ、値段もリーズナブルで美味しい屋台にしようと始まったという。また子連れのお客が多い理由について吉岡は自分の娘が赤ちゃんを連れて居酒屋に入ろうとした所断られてしまったというが、そういう店を作ろうと思ったきっかけになったという。また内装に白木を使っているのは、年月が経てばいい塩梅に白木が老舗の雰囲気を醸し出してくれるようになると答えた。また田舎戦略については店は赤字でもないのになのに人がいないせいで閉め、その中で新店を出した経験があるという。繁華街で店を出しても黒字なのに店を閉めるくらいなら、売り上げよりも人を確保できる店を作れる郊外に作ろうと田舎戦略が生まれたという。
- キーワード
- ヨシックスホールディングス小泉純一郎
名古屋市のや台ずしでは朝礼に従業員が元気に朝礼を行っていた。
従業員が元気に朝礼をする元気朝礼を行っていたが従業員は嫌ではないと語った。ヨシックスの社是は、あたりまえやを当たり前に。スタッフひとりひとりが当たり前やという目標を会社全体の目標にする。これは吉岡の口癖からとったもの。名古屋のヨシックスの本社では会長の吉岡も元気朝礼に参加していた。だが吉岡自身は当たり前の人生を歩んできたわけではないという。1954年に大阪市に生まれた吉岡は、実家は縫製加工の町工場だった。1960年代になると、吉岡家に幸運が訪れ、当時若い女性や子供に大人気となっただっこちゃん人形が流行。しかしそのおかげで吉岡家は多額の借金を背負うことになったという。
番組はTVerで配信中!
- キーワード
- TVer
1960年代になると、当時大人気となっただっこちゃん人形が流行。そのおかげで吉岡の町工場は大忙しとなったが、そのブームはすぐに過ぎ去り多額の借金を抱えることに。6歳だった吉岡は一つのものに頼ったら痛い目に合うと考え家業を継がずに1977年に大阪工業大建築学科を卒業すると建築の世界へ。3年後に独立しヨシオカ建装を創業した。転機となったのは当時急拡大していた持ち帰り弁当の「本家かまどや」の店舗建築を請け負っていた。やがて本家かまどやのフランチャイズに加盟し20店舗を構えた。その好調もあり、業績は拡大し自社ビルが建つまでに。しかし良いときは長く続かず。90年代に入るとコンビニ弁当の品質が向上しかまどやの売り上げは減少し、店舗の拡大も頭打ちに。50億円あった売り上げは3億円にまで激減。かまどやとの契約をやめて弁当店の業態転換を余儀なくされた。その中で思いついたのは屋台のように気軽に入れる寿司居酒屋。寿司職人を雇入れ、2000年に名古屋市にや台ずし1号店をオープン。常連客を獲得する老舗理論や田舎戦略で急成長を遂げた。
吉岡は社是についてあたりまえやを当たり前にという言葉については社員が50人ほどになったときに料亭や回転寿司、居酒屋出身と様々いて、掃除一つでも常識は違い、ヨシックスで当たり前を作ろうと考えた。また本家かまどやの営業に行き、建築内装業の仕事をもらったが、店もやれといわれたのでそれが飲食業にも参入したきっかけで建築と飲食店も手掛けたという。またかまどやもコンビニの台頭で売り上げが徐々に落ちてきたというがフランチャイズはテリトリーを売っていき飽和状態になれば打ち上げも頭打ちになることをその時はまだ知らず、建築1本で1社にどっぷりつかっていたのでそこが止まったときには仕事がなくなったと語った。
- キーワード
- ヨシックスホールディングス本家かまどや
ヨシックスの新業態はひとくち餃子の頂のんびりお酒をのみながら餃子を楽しんでもらう店でそれにこだわったのが餃子の大きさ。他にも土鍋炊き餃子や、ジャンボ肉汁餃子など種類は様々。またテイクアウト客を狙って持ち帰りスペースも導入。さらに餃子とからあげのセットなど弁当類も充実させている。新しい店は違った狙いに餃子の頂の近くにや台ずしがある。従業員は餃子も焼けて寿司も握れる二刀流。手伝いに行くだけでなく、アルバイトが行き来してスタッフを効率的にやりくりしている。また、低価格帯とは一線を画す新業態を始めた。自然薯の料理が楽しめる店は、豚肉や野菜の上に自然薯のとろろをたっぷりかけるなど嗜好を凝らした料理で女性に人気。ランチ時にもかかわらず客単価は1600円。ヨシックスは2023年9月に愛知県に3店舗展開していた自然薯料理店を買収。夜営業に頼らない業態を作ることが狙いだという。
吉岡は過去の経験から時代のニーズをいかに捉えていくかが重要だと答え、社内からこんな店をしたいというのを経営指針書に毎年1軒は新しいものをしようと実験しているという。また二ヶ月連続で赤字がつづけば撤退の対象になるというが吉岡は、赤字の店は経営していたしんどいと答え、従業員の給料においてもその店では能率給がつかなくなるなど会社も担当している社員にもしんどいので潔く撤退をし、建築があるのでスピーディーな業界転換や出店ができるという。
- キーワード
- ヨシックスホールディングス
村上は今日の総括に1980年、実家の町工場では「だっこちゃん人形」を作っていた。ブームが去ると在庫が大量に余り、借金だけが残った。6歳のとき「ブームは必ず去る」と。大学では建築を学び、店舗専門の建築を創業。持ち帰り弁当店「かまどや」の業務を拡大。数年で「かまどや」は終わった。「本当に行きたい居酒屋をつくろう」有効求人倍率が0.6倍と低かった長崎県の出店。「田舎戦略」の誕生。人手不足は全国の広がるが、「や台ずし」は拡大。500店舗達成可能ときいたら、吉岡さん、大丈夫と、悠々と。超合理主義の答だった。とした。
カンブリア宮殿の次回予告。