大阪・関西万博でチェコのパビリオンに展示されているガラス作品をデザインしたのは、1950年代から活躍したガラス芸術家・レネー・ロウビチェクだ。当時の社会主義体制で芸術家の創作活動に厳しい監視の目が向けられる中、自由な表現を求め続けた芸術家の足跡を辿った。プラハの国立美術館にあるシャンデリアを製作した当時、95歳だった。チェコ伝統のガラス工芸を芸術の域にまで高めたとして国際的にも評価されている。国立プラハ装飾芸術美術館名誉館長のヘレナ・コエニックスマルコバーさんは「常に変化し続けるということが、彼が作品に込めた意味だと思う」などとコメントした。
ロウビチェクが頭角を現したのは30代後半、ガラスと金属 を組み合わせた斬新なデザインが世界的にも認められた。代表作は1970年の大阪万博に出展した、高さおよそ5.5mの大作「ガラスの雲」だ。当時のチェコスロバキアは社会主義体制だったが、作品が制作された時期はプラハの春と呼ばれる民主化運動が盛り上がり、自由な表現を追い求める動きも広がっていた。ところがプラハの春はソビエト軍などの侵攻で鎮圧され、その後、芸術家たちへの締めつけは、より厳しいものになった。「ガラスの雲」は国家体制を上から覆う雲と捉えることもでき、政府からタイトルの変更を求められた。ロウビチェクはこれを拒否、その結果、国内での作品発表は禁止、国からの支援も打ち切られた。国からの制裁は10年以上に及んだが、針金を使って新たなデザインを次々と作り出すなど、創作の手を止めなかった。ロウビチェクの娘・ミハエラさんは「父にとってガラス、仕事、人生へのアプローチ、これらは同じようなものだった」などと語った。
ロウビチェクの思いは次の世代へ受け継がれている。ガラス職人のイジー・パチネックさんは、ロウビチェクから学び、20年以上にわたり、共に創作活動も行った。大阪・関西万博に展示するため、ロウビチェクがかつてデザインした作品を制作した。ロウビチェクから学んだことのひとつが、ガラスは自由であるということ。パチネックさんは「ロウビチェクさんはいないけど、この作品を作ることができて幸せだ」などと話した。
ロウビチェクが頭角を現したのは30代後半、ガラスと金属 を組み合わせた斬新なデザインが世界的にも認められた。代表作は1970年の大阪万博に出展した、高さおよそ5.5mの大作「ガラスの雲」だ。当時のチェコスロバキアは社会主義体制だったが、作品が制作された時期はプラハの春と呼ばれる民主化運動が盛り上がり、自由な表現を追い求める動きも広がっていた。ところがプラハの春はソビエト軍などの侵攻で鎮圧され、その後、芸術家たちへの締めつけは、より厳しいものになった。「ガラスの雲」は国家体制を上から覆う雲と捉えることもでき、政府からタイトルの変更を求められた。ロウビチェクはこれを拒否、その結果、国内での作品発表は禁止、国からの支援も打ち切られた。国からの制裁は10年以上に及んだが、針金を使って新たなデザインを次々と作り出すなど、創作の手を止めなかった。ロウビチェクの娘・ミハエラさんは「父にとってガラス、仕事、人生へのアプローチ、これらは同じようなものだった」などと語った。
ロウビチェクの思いは次の世代へ受け継がれている。ガラス職人のイジー・パチネックさんは、ロウビチェクから学び、20年以上にわたり、共に創作活動も行った。大阪・関西万博に展示するため、ロウビチェクがかつてデザインした作品を制作した。ロウビチェクから学んだことのひとつが、ガラスは自由であるということ。パチネックさんは「ロウビチェクさんはいないけど、この作品を作ることができて幸せだ」などと話した。