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「チャールズ皇太子」 のテレビ露出情報

1900年代、世界に先駆けて産業革命を成し遂げた ロンドンは地上で最も繁栄した都市の1つだった。その繁栄の象徴として君臨したのがヴィクトリア女王だ。9人の子供を産み、彼らをヨーロッパの王家と縁組させることによってヨーロッパ中の王族に40人の孫を儲けた彼女は、「ヨーロッパのゴットマザー」と呼ばれ、大英帝国の威信を確固たるものとする。しかし、ヴィクトリアはそれに飽き足らず、植民地であったインドの女帝に就任。彼女に率いられた大英帝国はインド以外にも世界中に植民地を築き上げ、20世紀初頭には人類史上最大の帝国となった。植民地の住民は帝国の母たるヴィクトリアへの忠誠心を叩き込まれたが、その実態は過酷な労働と資源の独占による搾取に他ならなかった。帝国は現地のエリート層に統治を委任させることで統治に対する不満が本国に向かわないように気を払い、インドでは同じインド人による過酷な統治が展開された。
1901年、ヴィクトリア女王の死去によって大英帝国の太陽は陰りを見せ始めた。ヴィクトリア女王の孫にあたるドイツ皇帝・ヴィルヘルム2世はドイツを一流国にすることを目論み、大英帝国との間で建艦競争を巻き起こしていた。軍備拡張を続けるヴィルヘルム2世はやがて本格的に大英帝国と対立するようになり、両国間での軍事的緊張はさらに高まっていく。1910年に死去したエドワード7世に代わり、ジョージ5世が大英帝国の玉座に座ると両国の君主はいとこ同士となる。しかし、ジョージ5世はヨーロッパ外交を後回しにして大英帝国内部の支配強化を優先した。インドではインド皇帝戴冠式を英国王として初めて行い、その権威を確かなものとする。同じ頃、ロシアではジョージ5世と親密な関係を築いていたニコライ2世が皇帝として君臨していた。
1914年に第一次世界大戦が勃発すると、ヴィルヘルム2世率いるドイツ帝国はベルギーやフランスに侵攻。これに対し、大英帝国を率いるジョージ5世はロシア帝国のニコライ2世と手を組んでドイツに宣戦を布告。しかし、ニコライ2世は1917年の2月革命によって玉座を追われる身となってしまう。ニコライ2世は大英帝国への亡命を求めたが、革命の波及を恐れたジョージ5世はこれを拒否。ニコライ2世は赤軍によって射殺され、300年にわたるロマノフ朝は崩壊を迎える。革命の余波はドイツへと伝播し、ヴィルヘルム2世も1918年のドイツ革命によって退位を余儀なくされる。第一次世界大戦とそれによって巻き起こった革命によってヨーロッパ列強の君主達は尽く姿を消すこととなり、生き残った英王室も労働党政権の誕生や普通選挙の実施などによって厳しい立場に追いやられることとなる。激変していく時流の中、ジョージ5世は「君臨すれども統治せず」の原則の下、国民に親しまれる王となることで命脈を保った。
この頃、ジョージ5世を訪ねたのが当時20歳の皇太子・裕仁親王である。各国の首脳や君主と謁見して見聞を広めていた裕仁親王に、ジョージ5世は立憲君主制における「君主」としての役割を丁寧に説いたという。
ジョージ5世の跡継ぎとなったデイヴィッドは社交的な性格で世界の人気者となり、アメリカ流の格式ばらない自由な生き方に憧れるようになる。1936年に崩御した父の跡を継いで国王エドワード8世となったデイヴィッドだが、彼は大きなスキャンダルを抱えていた。交際していた女性、ウォリス・シンプソンは人妻だったのである。エドワード8世からのアプローチにウォリスは夫と別れることを決意したが、2人の結婚は強烈な反対に晒される。英国王がトップを務めるイングランド国教会では離婚した相手が生きている人物との再婚を認めておらず、ボールドウィン首相も「結婚を強行するのであれば総辞職する」と猛反発。エドワード8世が結婚を強行して退位するとなれば、大英帝国を率いる役目はエドワード8世の弟であるアルバートに託されることになる。しかし、アルバートは内気な性格で吃音を患っており、国民からの人気はお世辞にも高いとは言えなかった。ボールドウィン首相はエドワード8世に結婚を断念するように懇願したが、エドワード8世は国王の地位を捨ててウォリスとの結婚を選択。「私は愛する人の支えなしには国王の重責を担うことができない」と国民に向けて演説したのを最後に、325日の在位期間を終える。こうして、玉座には弟のアルバートがジョージ6世として座ることになる。
英国王となったジョージ6世を待ち受けていたのは、緊迫するヨーロッパ情勢だった。ヴィルヘルム2世なきドイツを率いる独裁者・ヒトラーはデイヴィッドを利用してイギリスを味方に引き込もうと画策し、ウォリスとデイヴィッドを度々ドイツへと招いた。デイヴィッドとナチスが関係を深める中、1939年には第二次世界大戦が勃発。戦時下の大英帝国を率いることになったジョージ6世は、国民を鼓舞するべく自身の吃音を克服してラジオで徹底抗戦を呼びかける。さらに、兄のデイヴィッドをバハマ総督に任命することでナチスから遠ざけ、ヒトラーの野望を阻止。戦局が芳しくない中、ジョージ6世は国民の団結を維持するため空襲の相次ぐロンドンから避難することを拒み、娘のエリザベスも自ら軍に志願して弾薬の管理に従事した。国民と英王室の親密な関係は1945年の終戦まで続き、ドイツに勝利した日には100万人の大観衆がロイヤルファミリーに称賛を贈った。
第二次世界大戦に勝利した一方で、戦争によって疲弊した大英帝国は植民地の大半を失うことになる。1952年、戦後を迎えたイギリスにはジョージ6世の長女・エリザベス2世が25歳の若さで女王として君臨することとなった。しかし、そこにあったのはかつてのヴィクトリア女王のような威厳ではなく、大英帝国の負の遺産だった。エリザベス女王はイギリスと旧植民地の関係改善のために世界中を巡る贖罪の旅に出る。ガーナでは黒人のエンクルマ大統領と共にダンスを踊り、人種差別が残る時代にこれ以上ない程のメッセージを発信。1967年にはデイヴィッドとウォリスを公式行事に招待し、30年ぶりの和解を果たした。
しかし、1970年代に入ると英王室の地位は再び揺らぎ始める。国内の不況が深刻化するにつれ、特権階級である王室に対する反発が国民の間に広がり始めたのである。さらに、チャールズ皇太子とダイアナ妃の関係悪化に端を発するスキャンダルによって王室はゴシップ合戦の対象となってしまう。エリザベス女王は2人に離婚するように命じたが、その矢先にダイアナ妃は事故死してしまう。しかし、英王室はその死に際してもメッセージを出さず、失望した国民からは王室廃止論まで唱えられるようになった。こうした国民の声を受け、エリザベス女王は弔意を表するスピーチを発して合同国民葬でダイアナ妃を送り出すことを決意。その葬儀の場で、エリザベス女王はダイアナ妃の棺に向けて静かに頭を下げて見送った。君主が他者に頭を下げるのは、極めて異例なことだった。
2022年9月、エリザベス女王は70年に及ぶ在位期間を終えて96歳で崩御する。ヴィクトリア女王を抜いて英国史上最も長く玉座に君臨し続けた彼女は、次のような言葉を残している。「王は孤独なものです。重大な決定を下すのは自分しかいないのです。そして、それから起こる全責任は自分自身が負うのです。私には数多くの助言者がおります。王室関係者、政府関係者が献身的に、責任を持って事にあたってくれます。心から感謝しています。しかし、歴史に裁かれるのは……私であると覚悟しております」。

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