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「ツタンカーメン」 のテレビ露出情報

ツタンカーメンは、黄金のマスクで知られ、若くして死亡したことから「悲劇の少年王」とも呼ばれる。マラリアで死亡したとする説もあるが分かっていないことも多い。古代エジプトでギザにクフ王らの3大ピラミッドが建造されたのは紀元前2500年ごろ。ツタンカーメンが在位していたのは、それよりも1000年以上経過した紀元前1300年ごろ。ツタンカーメンの墓を王家の谷で発見したのがイギリス人考古学者・ハワードカーター。今から100年余り前の1922年のことだった。未盗掘だった墓から見つかった副葬品の数は、約1万点。3300年前に君臨した古代エジプトのファラオの絶大な権威を現代の私たちに知らしめるものになった。ツタンカーメンの墓に未知の空間があるかもしれないという。ツタンカーメンの墓、階段を降りて右側にひつぎが置かれた部屋がある。その北側の壁右側の奥に未知の空間があるという。この仮説を唱えたのがエジプト考古学者・ニコラスリーブス氏。イギリス人でツタンカーメン研究の第一人者。リーブス氏は、王妃ネフェルティティの墓を探し求めてきた。古代エジプト屈指の美女として知られる王妃。ネフェルティティの夫は異端の王として知られるアクナートン。宗教改革を行い都を移し、巨大な神殿を建造。ツタンカーメンはアクナートンの息子で、ネフェルティティは義理の母親に当たる。だがネフェルティティの墓はいまだ見つかっていない。リーブス氏は約30年前に王家の谷でハワードカーター以来、76年ぶりとなる王墓の発見を目指して発掘調査を行った。ネフェルティティの墓の発見は長年の悲願。そのリーブス氏が、2014年偶然目にしたのがツタンカーメンの墓を3Dスキャンしたデータ。エジプト考古学者・ニコラスリーブス氏は、ツタンカーメンの墓のヒビの存在をきっかけに北側の壁は、奥に続く空間を隠すために作られたものだと考え始めた。その考えを裏付けるものが次々と見つかった。リーブス氏が注目した不自然なヒビを境に向かって右側は左側よりもかびが多く見える。リーブス氏は壁の奥の空間の湿気でカビが増殖したのではないかと推測。更に天井に残る筋は、北側の壁に向かってまっすぐ伸ばすとひびの位置とつながる。天井の筋と壁のヒビを結ぶ線はここがかつて通路だったことを示唆。通路の奥には一体何があるのか。描かれた壁画にヒントがあるとリーブス氏は言う。リーブス氏は、壁画は後継者となったツタンカーメンが壁の奥で眠る義理の母ネフェルティティを弔っている場面を描いたものだと結論づけた。2015年、ツタンカーメンの墓でその未知の空間を探る地中レーダー調査が行われた。地中レーダー技師・渡辺広勝さんは、ペルーなど各国の遺跡調査で活躍。レーダー調査によるデータによると、不自然なひびを境に右側のパターンが大きく変化。渡辺さんの調査結果をもとに当時の考古相らによる記者会見が開かれた。エジプト考古相(当時)・マムドゥーフエルダマティ氏は「ツタンカーメンの墓の奥に部屋か、あるいは墓か、何かがある確率は90%」と述べた。その後、イタリアの研究機関などによる地中レーダー調査が相次いで行われ「空間はない」という結果も出るなどしたが、調査自体がコロナ禍などの理由でストップしてしまった。
おととしの秋、ツタンカーメン墓調査団・ニコラスリーブス氏にとって最後の挑戦が始まった。リーブス氏の説に強い関心を持つ元エジプト考古相・マムドゥーフエルダマティ氏は、調査団長として今回指揮を執っている。エルダマティ氏は「もしここがネフェルティティの墓であれば、今世紀で最も重要な発見のひとつになる」と述べた。王家の谷のジオラマは、地中の王墓の構造を表している。ツタンカーメンの墓は、周囲の他のファラオのものに比べて奥行きがなく、極端に小さい。ツタンカーメンの2代あとのファラオ・ホルエムヘブの墓もかつては絵が描かれていた壁が奥の空間を隠していた。取り除かれた壁の奥に進んでいくとツタンカーメンのものとは違い地中深くまで墓が続いている。一方、この断崖絶壁の中ほどにあるのはツタンカーメンよりも150年ほど前にエジプトを支配していたハトシェプスト女王の墓。墓の中を進んでいくと、右に曲がる構造。古代エジプトでは、直線か左に曲がるのは男の王の墓、右に曲がるのは、女王の墓の特徴。ツタンカーメンの墓も右曲がり。こうしたことがツタンカーメンの墓の奥にネフェルティティの墓があることを推測させる理由にもなっている。王家の谷観光の目玉であるツタンカーメンの墓の調査は観光客がいない夜間、本格的に行われる。墓の内部、北側の壁を中心に地中レーダーで壁の奥に未知の空間があるかどうかを徹底的に調査。他の壁も何度も往復し異なる周波数を使って延べ4800mにも及ぶ膨大なデータを収集。今回初めて地中深くの構造を調べることができるマイクログラビティ調査が導入されたのが。地表の極めて僅かな重力変化を捉えることで、地中にあるかもしれない未知の空間の広がりなどを調べることができる。調査団はツタンカーメンの墓の周囲約1500か所で測定。未知の空間に迫った。古代ガラスの研究者・上野由美子さんは、ツタンカーメン墓調査団・ニコラスリーブス氏と共に約30年間、ネフェルティティの墓を探してきた。今回の調査について、上野さんは「データを組み合わせると、今まで分からなかったことが出てくるかもしれない」と述べた。ツタンカーメン墓調査団長・マムドゥーフエルダマティ氏も自信を見せる。
ツタンカーメンの墓の奥にネフェルティティの墓があるとすれば、そこにはツタンカーメンと同様すばらしい副葬品が眠っているのだろうか。そのヒントは他でもない、ツタンカーメンのマスクに残されているとエジプト考古学者・ニコラスリーブス氏は言う。マスクの青の部分、頭巾の青はガラスで顔の部分は天然石のラピスラズリと違う素材が使用されていた。頭巾は22金なのに、顔は18金とこちらも別の素材。頭巾と顔の部分が同時期に作られていたなら同じ素材が使われるはずだが、頭巾と顔の間には不自然なつなぎ目がある。このマスクは別の時期に作られた頭巾と顔がつなぎ合わされた可能性がある。リーブス氏はこれらの痕跡からツタンカーメンのマスクはもともとツタンカーメンのために作られたものではないと考える。マスクに刻まれたツタンカーメンの名前をよく見てみると文字を削った痕跡がある。そこに刻まれていた本来の名前を復元すると、浮かび上がったのはアンクケペルウラーの文字。リーブス氏によるとネフェルティティは権力の階段を上るにつれて名前を変えた。女王になった際には、スメンクカーラーと名乗ったがそれ以前、夫との共同統治時代の名前こそがアンクケペルウラーだった。なぜ、ネフェルティティのために作られたものがツタンカーメンのものとなったのか。エジプト考古学者・ニコラスリーブス氏は「ツタンカーメンの死は突然だった。あまりにも若かったため埋葬の準備は何もされていなかった」と述べた。10代の若さで亡くなったツタンカーメンには副葬品などの準備がされておらず、ネフェルティティの共同統治時代に作られ、実際には使用されなかったものが流用された。その割合は、ツタンカーメンの副葬品の8割にも及ぶとリーブス氏は考える。ツタンカーメンの副葬品には、名前が書き換えられたような形跡があるものが極めて多いとう。義理の母であるネフェルティティの墓の一部にツタンカーメンは埋葬されたという。リーヴス氏は「これがネフェルティティの墓だとすれば、考古学至上最も偉大な発見のひとつになる」と述べた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年3月1日放送 17:30 - 18:50 TBS
報道特集(特集)
20世紀最大の発見と言われるエジプト・ツタンカーメンの墓。その墓の奥に未知の空間があるかもしれないという仮説がある。その調査に独占密着。悠久の歴史を持つエジプト。その歴史には、今もなお多くの謎が残る。おととし11月、その謎の1つに挑むある調査が行われていた。エジプト・ルクソールにある王家の谷。かつて栄華を誇ったファラオたちの墓が点在する。その1つ、ツタンカー[…続きを読む]

2025年2月28日放送 10:25 - 13:55 TBS
ひるおび(番組宣伝)
報道特集の番組宣伝。ツタンカーメン王の墓の奥に未知の空間があるかもしれないという仮説がある。調査団に独占密着した。

2025年2月28日放送 5:00 - 6:00 NHK総合
NHKニュース おはよう日本世界のメディアザッピング
エジプト南部・ルクソールの近くで発見された墓が「トトメス2世」の墓だとわかった。約3500年前のもので、王の墓が見つかるのはツタンカーメン王以来100年以上ぶりだという。

2025年2月27日放送 8:00 - 9:50 フジテレビ
めざまし8ニュース 9時またぎ
日本から約1万キロ離れたエジプトで見つかったのは古代エジプト王の墓。黄金のマスクの王ツタンカーメンの墓発見は1922年、以来古代エジプト王の墓としては約100年ぶりの大発見。発掘場所は年間数百万人の観光客が世界中から来訪する王家の谷に近い地点でツタンカーメンの先祖に当たる王・トトメス2世の墓とみられる。トトメス2世のミイラは別の場所で発見されていたものの墓は[…続きを読む]

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