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「テレビ木馬館」 のテレビ露出情報

テレビ放送が始まった1953年(昭和28年)、演芸番組の内容も、それまでの落語や漫才など聴くものに加えて、見て楽しむものが登場した。1954年からスタートした番組「テレビ檜舞台」をはじめ「テレビ百花選」、さらに「テレビ木馬館」など見て楽しむ芸が中心。つまりビジュアル優先。その一つがマジックだった。しかし、テレビを通してマジックを見せるには舞台とは違った難しさがあった。実験放送の時代、こんな失敗談があった。カラフルなマジックが、当時のモノクロテレビだと色が分からず、見栄えが悪い。派手な金属製の道具を使っても、照明が当たると光を反射してしまい手元が見えにくい。さらにもう一つ大きな課題があった。それはテレビ特有の枠・フレーム。舞台ではマジシャンは自由に動いて演技ができる。しかしテレビのフレームは限られているため、それを無視するとテレビからはみ出てしまい、肝心なところが見えない。そこで全体が分かるよう大きく映すと、今度は手元が小さくなって見えにくくなってしまう。しかも当時は全てが生放送。失敗はそのまま放送されてしまう。「舞台のような演じ方では通用しない」当時のマジック関係者たちはテレビ奇術研究会を発足。どうすればテレビを通してマジックを楽しんでもらえるのか試行錯誤を重ねた。その結果、テレビカメラのフレームを生かした演技をすることが大切だと気付き始めた。
Mr.マリックは1980年代に超魔術で一大ブームを巻き起こした。NHKに初めて出演した時の貴重な映像を紹介。マリックも初めはテレビカメラの前で演じることに大変戸惑ったという。これまでのマジックだけでは通用しない。テレビのフレームの中で、すべて完結させなければならない。そこでマリックが注目したのは一時、流行にもなったスプーン曲げだった。手元のスプーンだけに客の関心を集める、動きも少なくフレームを気にしなくていい、しかも360度どこから映されても大丈夫。これこそテレビ時代のマジックだと確信した。テレビを通してより多くのマジックが紹介されるようになって、自分もやってみたいとマジックに関心を持つ人も増えてきた。やがてテレビとマジックの普及とともに、プロのマジシャンを目指す人が現れてきたが、その一人が島田晴夫。テレビの黄金時代がきた昭和40年に、マジックの本場・米国を目指して旅立った日本より世界で有名なマジシャン。日本での活動の期間はわずか10年足らず。しかしそんな島田の貴重な映像が、NHKのアーカイブの資料に残っていた。伝説のマジシャンMr.島田の足跡をたどる。

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